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若者のすべてのbluetokyoのレビュー・感想・評価

若者のすべて(1960年製作の映画)
3.9
原題は、ロッコと兄弟たち、かな。主人公はロッコなのだろう。アラン・ドロンが演じているし。日本では主人公とは思えないので、若者のすべてになったのだろう。ロッコというのは、聖人なんだろうな。その意味では、まさに主人公ではある。聖人と兄弟たち、とするとわかりやすい。

パロンディ一家が南部から長男を頼ってミラノへやって来る。ところが、長男は、えっ、なに、こんな大勢で急に来られても困るんだけど、と冷たい態度。
ということで、母親のロザリア、次男のシモーネ、三男のロッコ、四男のチーロ、五男のルーカ(まだ子ども)で暮らすことにする。集合住宅に落ち着いてようだ。
大の男がゴロゴロしていて、母親が仕切っているというのは、なんとも微笑ましい。
全編を通じて、シモーネがダメ兄貴列伝の筆頭みたいな感じで、とにかくダメなのである。
シモーネはプロボクサーになる。ロッコは大きなクリーニング店に勤める。チーロは勉強である。

シモーネがロッコの勤めるクリーニング店にやって来る。服をクリーニングしてくれ、ということ。ところが、店内のワイシャツをちょろまかすのである。売り物じゃなくて、客から預かっているワイシャツだから余計にダメだろう、と思うが平気な顔でかっぱらってしまう。しかもバレている。
なにかの悪い影響で性悪なんじゃなくて、骨の髄まで性悪なんだろうな。

このあと、すごいなと思うシーン。ロッコが、じゃあ、お先に、みたいにして、仕事を終え、自転車で帰宅していく。ロッコと入れ替わるように、悪のシモーネが登場。クリーニング店に入っていくのだ。そして、女主人からブローチを盗み出す。
善なるものと悪との二面性である。善が善であると同時に悪はますます深まっていく。それが都会では顕著になっていくと捉えてもいいかもしれない。
シモーネは付き合っていた娼婦のナディアに盗んだブローチをプレゼントするが、盗んだものだとわかっているので、ナディアはロッコにブローチを渡して、シモーネと別れるために、ミラノから出て行く。
自分といると、シモーネは悪いことばかりするから、と思ったのかな。さらに、ロッコは軍隊に行く。

これで丸く収まるはずなのだが、運命は暗転していく。ロッコとナディアは、偶然に出会い、恋に落ちる。そして、二人は、ミラノに帰って来るのだ。悪のシモーネがいるミラノに帰らなくても、と思うのだが、善なるロッコに引き寄せられて帰ってしまうのだ。そうなると、シモーネの悪が呼び覚まされてしまう。
嫉妬に狂ったシモーネは、いい社会勉強だ、とか言いながら、ロッコの目の前でナディアをレイプする。ロッコはナディアに、シモーネとよりを戻せと言い、シモーネは再び、ナディアと一緒になるが、ボクシングを辞め、自堕落な生活に溺れるようになる。

シモーネがボクシングを辞めたので、代わりに、ロッコがボクシングを始め、あっという間にチャンピオンへ。

自宅で、お祝いのパーティーを開いて、皆で喜んでいるそのとき、シモーネは、ナディアを刺し殺しているわけだ。まさに、善悪の二面性である。
ロッコはシモーネを逃がすことぐらいしかできない。

ここで、チーロが登場する。チーロは、勉強(たぶん工学系)して、自動車メーカーに就職した。ロッコの反対を押し切って、警察に通報する。

チーロはなんの象徴なのかというと、実生活なのだろうか。実生活のことを考えれば、善悪なんて、考えないものな。
逆に、実生活を失えば、聖人か悪党しか残らない。

この映画の中で一番印象的なのは、実は、娼婦のナディアだ。死にたくない、と呻きながら、シモーネにナイフで刺されて死んでいく場面は本当に悲しい。
ナディアにとって、チーロのような実生活は望んでも手に入らない。だから、ロッコの聖人を求める。求めているのに、悪のシモーネを惹き寄せてしまう。
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