《ご長寿の映画》Part.Ⅱ。その6。
割と間髪空けずに。ついに7作目まできた。
これは過去6作からの地続きの続編というより、前回フレディがちゃんと消滅したことになってて、これはその番外編というか。スピンオフというか。
本作では『エルム街の悪夢』が本当に映画、フィクションだということになっていて、フレディ役のロバートイングランドや1作目の主役のヘザーランゲンカンプが当時の一躍時の人として扱われている。
フレディのお茶の間での人気は絶大で、ファンからも復活を望まれている。
そんな中、幸せに暮らしていたヘザーランゲンカンプ一家だったが、変なイタズラ電話に悩まされ始め、少しずつ現実世界で本当に“ヤツ”の影が忍び寄ってくる、、、。
ロバートイングランドが本人役として素の姿で登場するのがとても新鮮。
ホラーのキャラクター“フレディ”がエンタメ業界に作りあげられ一世を風靡した、という設定が、この異変により違和感を乗せてくる。
ヘザーランゲンカンプの家族たちに次々に襲い来る影。
何かを感じ取りながら様子がおかしくなっていく息子。「神様に会いたくて」、、、怖い。何かがおかしい。
ロバートイングランドを出しておいて、フレディは作られた存在だと認めておいて、、、、ぢゃあ、このヘザーランゲンカンプに忍び寄る“ヤツ”はいったいどこの何者か、と。
何やら『エルム街の悪夢』の続編を作るという話があり、水面下で脚本作業が進んでいるという事実がわかり始め、その脚本とヘザーランゲンカンプの身の回りで起きてることが何やらリンクしてるのか、なんなのか、、、。
いつもの“夢”ならではの不条理で、抗えない恐怖感と、現実世界が少しずつ少しずつでも確実に異常をきたしていくダブルパンチ。
それが彼女と息子の精神を混濁した混沌と恐怖、混乱に陥れていく。
夢の曖昧さと、現実世界のフィクションか否かの不明瞭さも、なぜか頻発する地震という新たな不安要素も、至る所に不気味さがあり、その不気味さが別の不気味さと交錯している。
脚本が紡がれることで、“夢の中のヤツ”が再びそれを利用し、出てこようとしているのか、、、。
それを止めるのは、君だ、ヘザーランゲンカンプ、何年経っても可愛くて逞しい。
演じた役とは言え、フレディと対峙した彼女にしかできない宿命のような。
そして、新生“フレディ”。いったい、お前は何者なのか。
順当におかしくなっていくヘザーランゲンカンプ。医者は息子もろとも精神的に病み始めていると診断し始める。
“ヤツ”がカムバックを仕掛けていることを再び阻止せんとする戦いにおいて、現実世界での現実的な抑止を制しながら、どんどん大きくなる脅威にも立ち向かう。
新生“フレディ”が誕生する時、ヘザーランゲンカンプはナンシーとなり、元祖“フレディ”は亡き者になる。
なかなか捻りに捻った突拍子のなさをさらに突き詰めた設定の7作目。
それはそれで破天荒だった過去6作の紆余曲折なくして、ある意味描けなかったであろう番外編。
この脚本が彼に力を与えているのか。この脚本の立ち位置がなかなか絶妙。
新生“フレディ”は意外とおふざけなしの邪悪さ。
ヘザーランゲンカンプと息子、本当にめげずによく頑張ったぞ。
“悪夢にうなされる”とは、まさにこのこと。
“悪夢に打ち勝つ”とは、まさにことこと。
ぶっちゃけ、どんなに詳細を書こうが、ネタバレしようが、この作品、このシリーズは観てみて初めて凄さが伝わると思う。レビュアー泣かせ。
言葉では説明できない領域。是非ご覧あれ。
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