垂直落下式サミング

エルム街の悪夢/ザ・リアルナイトメアの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

5.0
『エルム街の悪夢』のオリジナルでヒロインを演じて有名女優になったヘザー・ランゲンカンプのもとに、公開10周年を記念してフレディを復活させようと主演映画の企画の話が舞い込むが、彼女は周囲で不審な出来事が頻発しているため、出演に乗り気でない。そうしているうちに、現実でフレディの仕業としか思えない事件がおこってしまう。人気ホラーシリーズの第七作目。過去作とは世界観を共有していないため、番外編にあたる。
一作目で主人公のナンシーを演じたヘザー・ランゲンカンプがシリーズに復帰し、ロバート・イングランド、ジョン・サクソンなどのキャストも一緒に本人役で登場。さらに、第一作を監督したウェス・クレイヴンが再びメガホンを撮っており、さらに自身も本人として登場している。ウェス・クレイヴン本人は確かに出たがり監督だが、本作は単なるカメオ出演に終わらない。
『エルム街の悪夢』という映画が存在する現実の世界が舞台となっていて、フレディもこれまでとは異なり、邪悪の象徴のような存在として描かれている。第一作に寄せた凶悪で冷酷な性格で、彼の最大の特徴である凶器の鉄の爪は五本の指に結合したような、より悪魔的なデザインに変わっていて、顔の火傷も顔面の皮が剥がれたような人相になっている。また、暗い色のコートを羽織っているため、不審者度合いが増している。
本作の特異性は、『エルム街の悪夢』に続編が作られなくなったことで、フレディという恐怖の象徴が行き場を失って現実に具象化してしまう設定それ事態にある。
この映画は、怪談というものの意義、物語を語り続けることの意義、そのようなホラー作品の自己言及をテーマとしている。
本作でヘザー・ランゲンカンプは、自分の子供にホラー映画を見せない方針の教育をしているが、家族がフレディに狙われたことで、再びナンシーを演じ、悪夢に立ち向かうことを決意する。
ここで、子供に有害なものを与ないことの危険性について言及している。汚ない事を見せないように大人が隠しだてしようが、深夜に目が覚めてテレビをつけたらちょうど映画の殺人のシーンなんてことはいくらでもあるし、ブギーマンの「縄跳びの数え歌」はすんなりと子供の耳に入りこんでくるわけで、この世には丸っきり無害なものなんて存在しようがない。むしろ世の中は危険でいっぱいだ。
人は暴力的な表現に触れることで、身の回りに転がっている危険を遠ざける術を体得することができる。ヤクザに殴られたら痛いし、あたおかな人に剃刀で切られたら血が出るし、すぐ横で爆発がおこったら人は死んでしまうだろう。残酷な映画は、そんな世の中の真実に一時でも目を向けさせてくれる。本作は、そうした怪談を語り伝えることに意味を見出だし、恐怖を語ることを途切れさせてはいけないと訴えている。
ありもしないものを怖がる経験は、ほんの少しだけ僕たちを思慮深させ、他の誰かの痛みを想像できるよう感情に幅を持たせてくれる。そうして、他人が受けたダメージに目を向けられるようになれば、自分の弱さだってわかるはず。恐怖は悲しみの予行演習だ。
怖いものをちゃんと怖がれる力を養うことはとっても大事なことだと思う。絵空事の恐怖を描くことで、世の中にある恐怖を淘汰し、その原因を駆逐していく。そういったホラー文学の社会的な必要性を問い直す本作の試みを高く評価したい。