えいがドゥロヴァウ

不思議惑星キン・ザ・ザのえいがドゥロヴァウのレビュー・感想・評価

不思議惑星キン・ザ・ザ(1986年製作の映画)
4.8
最近、酒を飲んでいるときの勢いでしか映画のレビューが書けなくなっておりまして
個人的にはそれが結構深刻であります
鑑賞からレビューをまとめるまでのタイムラグの著しいこと
自己分析するに語彙力の低下を自覚しているからこその自信の衰退がモロに筆意に影響を与えているということで
酔っ払っている状態であればそういった自意識のフィルターが取っ払われると
言ってしまえばただそれだけのことなのですが
ゴチャゴチャとアレコレ考えずに気持ちの赴くままに綴ったほうが
魅力的な文章になるのですからこれまた困ったものでございます

そんなことはさておき

本作は最近になってリストア版のブルーレイがキングレコードより発売された旧ソ連の珍作でございます
製作された年が自分の生まれ年ということもあってか
何かとご縁を感じている作品ではありますが
こんなヘンテコな作品にご縁を感じている自分自身を訝しみつつ
まぁ好きなものは仕方がござんせん

「文明星の代表として用語の再検討を求めます」

カツェ:マッチ
ツァーク:鼻用小鈴
エツィフ:囚人ボックス
エツィロップ:権力者(警察官)
ペペラッツ:宇宙船
グラビツァーパ:宇宙船の加速器
キュー:公言可能な罵倒語
クー:残りの表現全部

異星人を名乗る人物への猜疑心から
唐突にキン・ザ・ザ星雲は砂漠の惑星プリュクに空間移動をさせられてしまったウラジーミル(おじさん)とゲデバン(バイオリン弾き)
おじさんの高慢な態度とバイオリン弾きの窃盗癖(異星に身を置いたことを証明したいがための浅ましさ)が状況を些か困難にしているのは自明のことながら
あまりにも自ららが生活していた世界とは異質な惑星の文化に戸惑いを隠せない両人
その構図は社会主義国家として独自の文化を育んできたソ連という国の資本主義に対する見解をデフォルメした様式であって
半ば蔑みながらも自身の文化を脅かしつつある強大な力のメタファーでもあります
かくしてこの映画が製作された数年後にソ連は解体されました
そういった歴史的な見地を鑑みれば
本作はソ連における当時の社会情勢を如実にあらわした作品だと読み取れるのです
だからこそ、その激動の情勢を茶化したかのような素っ頓狂で能天気な世界観を開陳した本作の芸術的価値は計り知れず
僕個人が標榜する「シリアスな事柄こそユーモアで語れるものが優れた表現である」という信条にこれまたピッタリと合致する作品でもあるのです