ものすごい緊張感で消耗する。『奇跡』と同じように室内ではずっと柱時計がかちかち鳴っていて、轟々と風が鳴るクライマックス以外は物音を入れていない。
丸々とした老年の女性へアロフス・マーテが魔女の告白を迫られ拷問されるシーンがとてもつらい。累々と並ぶ白い襟の男たちをカメラがゆっくりパンするのが殊更に苛酷さを強調する。男しかいない場で半裸にされたへアロフス・マーテが叫び声を上げる。梯子に括り付けられた彼女はアプサロムを罵り、あっという間に焚き火の上へ倒される。その凄惨さ。
魔女とされたへアロフス・マーテとアンネの母、アプサロムの若妻アンネは同じ水脈にあるらしい。
大文字の歴史、男性中心の文法では語られてこなかった歴史、そこから少しでもはみ出す者=自らの意思を包み隠さない女性、それこそが魔女であり、魔女裁判は女性自らの意思を排除するシステムであるようだ。
規範や既存の人間関係を遵守することで自分の立ち位置を確保する男性たち。それゆえにアプサロムらはへアロフス・マーテの遺した言葉が呪縛となって苦しむ。男性中心社会に付き従う名誉男性的な役割としての強権的な母(姑)は、魔女とされた女性らのような意思表示をしなかった(できなかった)。だからこそアンネを嫌い、糾弾する。
年かさの聖職者アプサロムとの結婚で抑圧され、夫の息子との出会いで初めて恋愛を知ったアンネの行動は堕落とされる。それを象徴するように彼女の姿は突然、レースの施された襟や、ウェーブのかかった髪を垂らした装いに変わる。彼女の強い眼力は明らかに挑発的な態度へ豹変する。
自分の心に従うこととはどういうことなのか、それをマイノリティとしての女性が体現することについて、ドライヤーは反批判的な視点をして最も激しい方法で提示している。これは『ゲアトルーズ』にまで引き継がれている。
アンネの意思は魔女であると認めなければ表明し得ないものとされ、その片鱗は現在まで残る。