キャラクターとストーリーが見事に一致している。
姉のアンは、どこまでも自己本位。
妹のメアリーは、どこまでも家族思いだ。
自己本位と家族思いの行動原理を基準に、ストーリーは作られている。
ストーリーの辻褄合わせのためにキャラを犠牲にはしていない。
ヘンリー八世の奪い合いという展開だが、起伏に富みそれらは全て二人の性格の違いにマッチしている。
勿論、多くは裏で糸を引く陰謀家の叔父が絡んでいるせいだ。
女性の地位が低い時代に、自力だけで山は動かせない。
だが叔父の計略もメアリーには効果的だが、アンには必ず裏目に出る。
従順な妹と、出し抜く事ばかり考える姉の対比になっている。
「叔父の計略」がストーリー展開だけでなく、姉妹の性格の対比をも浮かび上がらせているのだ。
どちらか一つしかさばけない脚本家や作家とは技量が違う。
日本のドラマのように、キャラクターの深掘りをするためだけに幼少時の回想を入れるような回りくどい真似はしない。
この辺は日本の漫画家も毒されている。
例えば『進撃の巨人』で凄腕の殺戮者に成長したミカサ。初めは無抵抗主義で暴力を否定していた。
強盗に襲われても殺されようとしていたのに、エレンのひと言で幼児期の風景を思い出す。
それは、カマキリが蝶を食べるのを見た記憶。
「世界は残酷であり、生き残るには残酷になるべきだ」
暴力を受け入れた瞬間、ミカサは生まれ変わる。
人物の深部での決意を表すのに、漫画はよく回想を入れ込む。
印象に残るし、深い決意を感じるので効果的だ。
だが、こればかりに頼るのもどうかと思う。
現在と関係のない回想を入れて、人物の深掘りをする。
ストーリーの中で深堀りできないから、回想を入れ込むのだ。
日本のドラマや漫画の特殊なところである。
アンはどこまでも自己本位なので、追い詰められた時に弟を巻き込んでとんでもないことをしてしまう。
またメアリーはどこまでも家族思いなので、酷い仕打ちをしてきた姉なのに最善の救済行動に出る。
どちらも正反対の方向に、有り得ない態度をとるのだ。
その有り得なさは、二人の性格の極端さを表している。
やはり、ストーリー展開と性格がマッチしているのだ。
また国王は、あれほど待望した男子が生まれたにも関わらず有り得ない 対応をする。
本来なら子供だけでも引き取るだろう。
この辺り、一見ストーリーとして破綻している気もする。
だがそれも、そこまで国王がアンを愛して盲目になっていたという人物の表現に落とし込んでいる。
判断が狂うほど愛したのであり、だからこそ醒めると王は残酷な態度を取るのだ。熱狂した分だけ冷酷になるのである。
一見ストーリーの破綻と思えるものさえ、 人物描写に活用していると考えれば、この作者の手だれぶりが解る。
読者を驚かせるストーリーを作ることだけに腐心して、キャラクターを操り人形にしている作者たちは見習うべきである。