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『ホテル・テルミニュス 戦犯クラウス・バルビーの生涯』に投稿された感想・評価

No.816[とんだクリスマス映画じゃないか!、マルセル・オフュルスと戦後フランス②] 60点

「哀しみと憐れみ」という大長編ドキュメンタリーを作り上げたマルセルはその後主にテレビ映画を製作していたようだが、映画としては「A Sense of Loss」(北アイルランドについて?)「The Memory of Justice」(ニュルンベルク裁判について)というこれまた長いドキュメンタリーを手掛けている。長編ドキュメンタリーとして四作目となる本作品は、"リヨンの屠殺者"と呼ばれたフランスのゲシュタポ責任者クラウス・バルビーの生涯、及び彼が逃亡先の南米で逮捕された後の裁判を描いている。

本作品はパーティに浮かれるバルビーの写真を大写しにして始まる。40年もの逃亡生活の後逮捕送還されたバルビーについて、フランス人の老人たちは困惑しきっている。バルビーがフランスにゲシュタポの責任者として派遣され、数多くの人間を拷問して殺害し、アメリカの手先となって冷戦下の諜報戦に協力し、ボリビアに逃亡して彼らの庇護下でナチス時代と全く同じことをして生活していた現在に至るまでの生涯をマルセルは具に追っていく。ドキュメンタリーが苦手な私は「哀しみと憐れみ」から連続して8時間もインタビューだけのモンタージュに耐えていたわけだが、"現代フランスの神話"を徹底的に破壊した同作に比べて本作品は"ナチス=バルビーは悪い人"ということを延々と語るだけなので特に新しい発見はなかった。しかも盟友ランズマンに触発されたのか彼が「SHOAH」で使用していた"極めてドキュメンタリー的とは言い難い方法"を何回か利用していて微妙な気持ちになった。
勿論、いつもの意地悪な証言のカットバックは健在だった。というか過剰なほど多かった。

しかし、どうやらインタビューの多くはクリスマス直前に撮影されたらしく、元ゲシュタポの男に面会を断られた際に"メリークリスマス"と返すマルセルの皮肉は強烈だった。事実、反共産主義(共産主義は宗教を否定する)の観点から戦後バチカンがナチスの逃亡に協力していたという側面があり、聖歌が流されるのはそういった皮肉が含まれているんだろう。

こんな話があるらしい。1988年のカンヌ映画祭で上映された際、インターミッション中にマルセルは老女に"このような映画を作ってくれてありがとう"と声を掛けられ腕の入れ墨を見せられたらしい。老女は当時の状況を滔々と語りついには"全てのドイツ人が死に絶えるべきだ"と言い始めたため、マルセルは彼女を落ち着かせ席に戻るよう促した。直後に中で老女が泣きわめく声が聞こえ、20代くらいのドイツ人の男が"もう聞き飽きた!若い世代のドイツ人はいつまで知らない犯罪について責められ続けなきゃならんのだ!"と恫喝していた。他の観客は男をなだめ、男は会場から連れ出されたという。これこそがマルセルのメッセージの主軸であることに男は気が付かなかったのだろう。戦後40年近くが経過し自らの過去に無関心になりつつあるドイツ国民に対して彼らの"被害者意識"を指摘することで警鐘を鳴らしたかったのだろう。しかし、決してドイツ人に罪を還元することも、増してバルビー本人に還元することもしない。あくまでアーレントの提示した"Banality of Evil"の精神に基づき、バルビーは時代に翻弄されそれに順応したまでだと説く。それは「哀しみと憐れみ」におけるフランス人の立場に似ていて、避難されたアーレントの理論を映像で追い求めたのがマルセルなんだろう。

折しもドイツはベルリンの壁が崩壊する直前であり、過去の犯罪の大きなモニュメントが目に見える形で壊される時期に移り変わってゆく。そして、この映画から30年が経過し、ヨーロッパはポピュリズムに揺れている。ランズマンが、マルセルが、ホロコーストの被害者たちが生き残っていたら、今の世の中に対して何を思うのだろうか。
アカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞を実は受賞していたこの作品、残念ながら自分の肌には合わないものとなっていた。

というのもこの作品はリヨンの屠殺人とあだ名され第二次大戦期の大罪人と見なされているクラウス・バルビーという男についてのドキュメンタリー映画なのだけど、似たテーマを持つショアーの尺を半分にしてインタビューの比率を多めにしたような内容となっていて、情報性が強い故に殆どインタビューで構成される映画を苦手とする自分にはこのインタビュー映像の連続による長尺は堪え難いものだった。

様々な関係者らを訪ねてインタビューを録った労力は相当なものだってろうとは思うし、訪れた場所の光景にはリャマがいる草原とか良いものもあったけど、全体的な作風や構成にはうんざりさせられて仕方がない。

やはりドキュメンタリー映画であっても自分は言葉に頼らず映像の情感で語る、ソクーロフやゲリンが撮ったような作品の方が断然好きだ。

それにしてもこんなドキュメンタリー映画をあのマックス・オフュルスの息子が撮ったなんて、色んな意味でとても信じられない。
CHEBUNBUN

CHEBUNBUNの感想・評価

2.0
【ランズマンと比べるドキュメンタリーのジャーナリズム性】
『死ぬまでに観たい映画1001本』に収録されているラスボスクラスの戦闘力を持ったドキュメンタリー。

記憶が正しければ『O.J.:MADE IN AMERICA』がアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を獲るまで最長の上映時間(267分)を誇っていた作品。

クラウス・バルビーの半生をホロコースト映像なしで撮った渾身の作品だ。

本作を観るとクロード・ランズマンのドキュメンタリーと比較せざる得ない。というのも、ランズマンとオフュルスは真逆の手法を用いていながらも、ジャーナリズムとしての真摯さ。膨大なインタビューリポートを一つにまとめていき、メッセージ性を強化していくところは共通しているからだ。

そして、ランズマンの『SHOAH』と本作は正しくその比較をする上で非常に面白いものがある。

『SHOAH』の場合、徹底的に被写体の言葉に迫り映画の持つ視覚的情報を奪うことで観客の脳裏にアクションを生み出す特殊な作りをしていた。これは、戦争体験者や東日本大震災の被災者から話を聞いたブンブンにとって目から鱗。心の混沌にしまわれ、当の本人ですらまともに記憶を取り出せないことが多い巨大なトラウマに対して、ランズマンの巧みな傾聴力と情報整理術でもって物語がしっかり紡がれていたのだ。ここにブンブンは痺れた。

『ホテル・テルミュニス』の場合、まるでスコセッシの映画のように軽妙にインタビューを繋ぎ合わせ、視覚的ドラマを生み出している。インタビューのプロセスでドンドン壮大になっていったクラウス・バルビーの数奇な運命を観客に追体験させる。これもやはり、オフュルスの傾聴力がなくては引き出せないし、情報整理術がなければ支離滅裂としてしまう。

ジャーナリズムとしての客観性でいえば、前者に軍配があがるが、エンタメ性でいえは後者に軍配があがる。ブンブンはランズマン派なので、然程乗れなかったのですが、骨太ドキュメンタリーの手本として輝きは衰えぬ一本と言えよう。