「哀しみと憐れみ」という大長編ドキュメンタリーを作り上げたマルセルはその後主にテレビ映画を製作していたようだが、映画としては「A Sense of Loss」(北アイルランドについて?)「The Memory of Justice」(ニュルンベルク裁判について)というこれまた長いドキュメンタリーを手掛けている。長編ドキュメンタリーとして四作目となる本作品は、"リヨンの屠殺者"と呼ばれたフランスのゲシュタポ責任者クラウス・バルビーの生涯、及び彼が逃亡先の南米で逮捕された後の裁判を描いている。
こんな話があるらしい。1988年のカンヌ映画祭で上映された際、インターミッション中にマルセルは老女に"このような映画を作ってくれてありがとう"と声を掛けられ腕の入れ墨を見せられたらしい。老女は当時の状況を滔々と語りついには"全てのドイツ人が死に絶えるべきだ"と言い始めたため、マルセルは彼女を落ち着かせ席に戻るよう促した。直後に中で老女が泣きわめく声が聞こえ、20代くらいのドイツ人の男が"もう聞き飽きた!若い世代のドイツ人はいつまで知らない犯罪について責められ続けなきゃならんのだ!"と恫喝していた。他の観客は男をなだめ、男は会場から連れ出されたという。これこそがマルセルのメッセージの主軸であることに男は気が付かなかったのだろう。戦後40年近くが経過し自らの過去に無関心になりつつあるドイツ国民に対して彼らの"被害者意識"を指摘することで警鐘を鳴らしたかったのだろう。しかし、決してドイツ人に罪を還元することも、増してバルビー本人に還元することもしない。あくまでアーレントの提示した"Banality of Evil"の精神に基づき、バルビーは時代に翻弄されそれに順応したまでだと説く。それは「哀しみと憐れみ」におけるフランス人の立場に似ていて、避難されたアーレントの理論を映像で追い求めたのがマルセルなんだろう。