ねぎおSTOPWAR

12人の怒れる男 評決の行方のねぎおSTOPWARのレビュー・感想・評価

12人の怒れる男 評決の行方(1997年製作の映画)
4.5
1957年のシドニー・ルメット監督「十二人の怒れる男」があり、三谷幸喜「12人の優しい日本人」は観たものの、フリードキンのこちらは観ていなかった。

いやあ、早く観れば良かった。

これが一番好きかも。

そもそもこの本が面白いんだわなー。
陪審員それぞれの設定が秀逸だし、一見(一聴)完璧な証言に思えるものが上手に崩れていく。そして自身の境遇と重なり合わせる男・・。
役者さえきちんとしていたら、どうしたって面白いですよ!
ほぼ暑い部屋一室のみで展開されるのに、飽きないんだなあ。

そして!

フリードキン版はシドニー・ルメット版と同じ脚本を使っています。
(キャストは40年の歳月と社会情勢、映画製作環境の変化から、複数の黒人と別の移民に変えられていますが)

でね、カメラと編集が大きく違う!!(と思う)

特に思ったのは、陪審員5番のスラム出身の男性が映し出されるシーン。それもセリフなしで。これがスリリングでテンポ良く繋がれいます!

無記名投票した時や、「スラムのやつらはよー」的な話をしている中での、周囲の心ないセリフに反応する彼の表情が手前の陪審員の肩越しに撮られているショットが、喋る画にインサートされる形で。
現場見ていないしはっきりはわかりませんが、パラでカメラ回していたか、そうでなくワンカメで撮ったなら、ポジション変えて撮影したんでしょうが(あるいはまったく別の場面での5番の表情をうまく切り取って使った)、その素材から編集マンが自由にテンポ良くつないだシーンだと思うわけです。見当違いだったら申し訳ありません。


1957年と97年では撮影機材の性能から金額、機動性、大きさが激変しています。
ちょうど「ウエストサイドストーリー」もスピルバーグ版が公開されますけど、これも同じような現象あると思うんです。
書いている時点でスピルバーグ版の予告編映像しか観ていませんが、撮影が動的なんです。ダンスで人物が動く際、カメラごと反対方向にドリーするとか、ズームするとか、オリジナル当時のデカイ図体のカメラでガチーっと撮るのと画が違う。カメラが動いています。

・・・狭い密室での陪審員の劇だけに、なおさらね。

例えば動く対象にはカメラは止まる:止まっている対象にはカメラが動く。
・・動く対象に動いたら見づらいし、静止に静止だと眠くなる・・
(しかし東映ヤクザ仁義なきは動に動をしました。でも殺されたあとのストップモーションなどでまるでスティーブガットのフィルのようになんとかしちゃう。静止に静止は深い思慮を伝える場合には効果的だったり)
これら絶対的な約束事ではないけれど、「ミュージックステーション」ではそうではないですか?ダンサブルなものはスタジオカメラで、ピアノの弾き語りとかはカメラ動かして背景を移ろわせるとか・・。

さほどオリジナルから変えていないにせよ、たぶん横に並べて観ると今作の方が映像のアクセントがあるのがわかるんじゃないかなあと思います。

だから、こういった撮影は現代的で、役者たちにとっては嬉しい限り。だって役者が演じたちょっとした芝居でもカメラが抜いてくれるし編集で入れ込んでもらえる。・・ゆえにテレビばっかり出ている役者は演技が小さくなっちゃって舞台だと使い物にならない(遠くの席だと見えない!w)わけですよね。

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まあいろいろ言ってすみません。
これが映画の価値の全てではありませんし、
オリジナル版がダメなわけじゃないです。
ただ、この名作がこのリメイクによって現代の若い人に違和感なく観てもらえるようになるのはいいことだなって思っています。