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リロ&スティッチ2のLCのレビュー・感想・評価

リロ&スティッチ2(2005年製作の映画)
3.8
面白かった。

本作では、女の子がフラダンスで母親を意識したり、青い天使が悪い子に戻ってしまう自分に戸惑ったり、彼らの出自を思い起こす場面が主に展開されていく。

前2作の感想文で記してきたような「その地の言葉」の他、フラダンスも同じくらい、その地の者たちにとっては大きな意味を持つものだ。踊りを言葉と同じように使う(感情を表し、物語を伝える)文化の者たちにとって、言語も踊りもどちらも「言葉」だし、不自然ではないよね。
彼らの言葉はかつて、滅びる危機にあった。理由はもちろん、他の場所と同じで、外の者たちに支配されたから。
外の者の言語(英語)を話し、現地の文化は蔑ろにされ、「その地の出身」というステータスが恥となる状況に晒された。その際、名前で出自を知られぬよう、改名した者も多いと聞く。
その後、長い歴史の中で「自分たちの出自を恥じず、堂々と表現していい筈だ」という動きが広がり、海を超えてその島にも到達した。
ハワイをはじめとした周辺地域の島々は、そうして「この地に生まれ、この地の者として生きる誇り」を取り戻していく。フラダンスは、その象徴のひとつとも言える。
そういえば、フラ復活の機会を作った王がいるんだけど、名前は確か、本作でお姉さんに花束を渡し損ねた彼と同じ。

作中、女の子と彼女の天使は、今まで築き上げてきた絆を破壊され尽くしてしまうような危機に陥る。
かつて「オハナだけは破壊しない」と決意した天使の苦悩は、なかなか女の子には伝わらない。彼女も彼女なりに、無視できない大きな何かに集中したかったから。
彼女は、今は亡き家族との絆を、どうしても形にしたかった。
天使は、自分ではどうにもできない破壊衝動を、文字通りどうにもできずにいる。
そんな彼らの絆の破壊は、かつて島々の文化が直面した衰退の危機と重ねて見ることも、できるかもしれない。そうでもないかもしれない。そこはお好みに合わせてご自由に、だね。わし自身のお好みは、そういうの重ねて見るのが好き。その方が面白いじゃん。
小さな者たちだけではなく、お姉さんも必死に奮闘する様子を見せてくれる。
みんなそれぞれ、精一杯手を動かして、うんうん頭を悩ませて、余裕のないどったんばったんを見せていく。

ついでに、その地域では、「自分が何者か知りたいのなら、自分の山を見つけなさい」といったような言葉があるらしい。モアナの物語でも反映されていたね。
本作の終盤、天使が墜落したのも山だった。
そこで彼はきっと、彼のことをオハナとして受け入れ続けてくれた者たちに囲まれ、しっかりと確信を持ったのだろうかな。ぼくはふわふわで、オハナと共に、この地で生きていく者。
破壊する者として生まれたけれど、彼自身が望む彼になることはできるし、それは他者との強い絆がなければ不可能なことでもある。
そこで大切な何かを大切にしながら生きていく、心からそう望む彼自身を、自分で自信を持って体現していく。彼自身が、みんなと出会ってからの自分は何者であるか、見出せた瞬間でもあったのかもしれない。
何故海ではなく山だったのか。こんなふうに考えても楽しいかもしれないし、そうでもないかもしれない。そこもやっぱり、お好みに合わせてどうぞ、だね。わしのお好みに合わせるなら、そう考えて見るのはとても好き。楽しさが増えるもの。

天使にかつて「君に家族はいないよ」と言った者が「なんとかしたい、家族だ」と言う場面がある。
天使と女の子が結んだ絆は、他の者たちをもあたたかく巻き込んで、固いひとつの縄のようになったのかもしれない。蔦でもいいけど。
その蔦は、色々な花を伴って、ひとつの輪としてフラを踊る者の頭を彩ったりするかもしれない。
オハナ勢揃いで踊る場面は、どうしても嬉しい気持ちになる。振り付けが少し違ったって、楽しく笑い合える。オハナを構成するひとりひとりだって、みんな違うんだもの、振り付けだって、一緒に踊っていてもそれぞれ違うことくらい、あるかもしれないよね。

サンドイッチを作る者が「グリルされたチーズサンド…!」と新しい美味しさを堪能する場面があった前作。
本作ではトースターでこんがり焼かれたパンに、ジャムだかバターだかを塗りたくる場面がある。
わしはバターを塗ったこんがり食パンに砂糖をかけたものが好き。
もちろん、ハムとチーズであつあつ食パンも好き。その場合もバターは必須。
「タマゴサンドはないの!」と言われた彼と同じく、タマゴを挟んだものも好き。やっぱりバターは忘れちゃいけないけれど。
アイスクリームの人が、やっと一口堪能できた瞬間、ちょっと喜んでしまった。すぐに「え、現実じゃなかった感じ?」となるけど。ええんや、例え夢だとしてもええんや。兎に角彼がアイスクリームを味わう姿が見られたんだ、それでええ。
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