【輪廻はしても学習はしない】
久々にペ・ドゥナに会えるぞー、という動機で劇場へ(笑)。
が、輪廻のペラい捉え方と、それを通して言いたいのは結局人類への愚痴?と感じた所で頷けず、表現としても、異なる話を繋ぐ滑らかさは器用だとは思ったものの、特に面白い話が並ぶわけでもないので、デパ地下試食巡りをしたくらい?の満足度で終わりました。
お話の柱としては、トム・ハンクス演じる男の、改心の遍歴と、ペ・ドゥナ演じる女の運命が、私は大きなところかと思いましたが、前者には、それだけ変わるのに五百年かかったん?という呆れがあり、後者には、善行を施す者は結局損するの?という疑問がうず巻いた。
彼女は重要な言葉を残しました、という方が重要なのだとしても、人類は結局それを生かせず退化してゆきましたって流れなので、これって愚痴だよな、それともブラックコメディ?と首傾げちゃった。
音楽を巡る話が一番よくできていたと思います。でも全体でみると、トム男とペ女にはこの曲関係ないし、意外と影響薄いな…と感じた。
苦笑したのは70年代篇。一番あり得ん感が目立ち、段々冷めてくる。ブラックスプロイテーションかよと。でも、ハル・ベリーの部屋に、「エマニュエル椅子」があるのは感動! 何故に座らぬあのポーズで!…シルビア・クリステルさんへ哀悼の意を込めたのでしょうか?
町山智浩さんによる、ラナ監督へのインタビューも聞きましたが、「魂には性別もなければ、国籍も人種も無いのに、何故囚われるのか?魂のこと、魂は成長するんだって話を描きたかった」との話だったそう。
これ聞いて、余計考えちゃいました。…魂、成長遅すぎるよって(笑)。そりゃ人類、黄昏るよなって。
それにこの意図なら、一人の役者に何役も兼ねさせることは矛盾では?魂に姿は関係ないのだから。同じ役者が同じ魂であるという記号、という狙いはあるのでしょうが、メイクし過ぎて誰かわからないんじゃ、やっぱ矛盾してると思う。
兼役に関してはやっぱり、白人のアジア人メイクが超、ヘン!(爆笑)
ハリウッド初期の、瞼盛る手法から変わってない。魂の成長ないの?まあハル・ベリーとペ・ドゥナの白人メイクも酷かったからいっか(笑)。しかし、相変わらずアジア女性の撮り方はなってないなーと思う。ペ・ドゥナ、時々すげえブサ顔で驚き。童顔力でギリ乗り切った感。
現実を生きる益にはならない作品でしたが、頭の体操レベルでは、時間の不可逆性から離れる快感、などが少しあり、よかったです。ペ女の過去と未来がクロスする所なんて一瞬、ゾクッと来ましたし。
あと、微笑ましかったんですが、ニューソウルのアメ横(笑)で、ソンミが見下ろされる「自分」と出会うシーンは素子さんを思い出し、『攻殻機動隊』への兄弟監督の目配せだと思いました。
<2013.4.7記>