垂直落下式サミング

シュガー・ラッシュの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

シュガー・ラッシュ(2012年製作の映画)
5.0
実際のところ、ゲームの悪役がいなくなるとどうなるのだろう。大工の源さんが、バトルリーチ演出に入らなくなるのである。鬼頭組の凪ちゃんがへそを曲げて悪役をやめてしまったとしたら、ちょっと大変だ。
それを踏まえて考えると、「クソ大工のくせに調子にのりやがって、コイツで逝かしてやんよぉ!」ってのが、30周年パーティに呼ばない奴らに対するラルフの胸中であると思う。
ゲーム内でのラルフやヴァネロペの排除・迫害されっぷりに胸くそ悪くなってしまったが、あらかじめ決まった動きしかできないプログラムが意思を持って擬人化したものなのだから、彼等の人格から思考回路まで、すべてが設定に殉じたものになるのは当然かもしれない。これによって、恵まれたものはみずから進んでごみ溜めに歩み寄ることはなくて、幸せを見せびらかすことに罪悪感もない様子を、うまいこと整合性があるようにみせている。
最高のアニメーションを用いたキッズムービーの皮を被りながら、人の世の汚いごとを見せておいて、そういう扱いに困る部分はギャグで誤魔化しながら、あくまで主人公の個人的な成長にフォーカスしていくところは、ディズニーのファミリー映画らしい職人芸。
そんで、ヴァネロペは死ぬほどかわいい。ちょろちょろ動き回るのが手に負えない従姉妹の子みたいに危なっかしくて、英語だとサラ・シルヴァーマンのがらがら声ってのも好き。もう一回字幕でみてギャップに打ちひしがれよう。
ラルフと一緒に車作るところは、毎日クソ仕事のせいで心が死に続けてるサラリーマンにとっての救いみたいな場面ですよね。あんな不出来なのに、めっちゃ喜んでくれるんですよ。ほんっとにかわいい。幼女のかわいさは人を救います。ホントです。こういうのをみると、何が気にくわなくても誰かに優しくしてみようと思う。
ラストはシュガーラッシュの危機を救って、みんなが本来の場所に戻っていく。何かを投げ出したくても、与えられた役割や責任は果たさなければならないと締め括られていた。
僕は、突然バイトに行かなくなったり、後ろ足で砂ぶっかけるみたいに退職したりしたことがあるけど、それは自分以外の何にも責任を持っていなかったからだ。大人ってのはそうはいかない。
車や家のローン払ったり子供の学費稼ぐために、ブーブー言いながらしょうもない残業し続けなきゃいけないオッサン連中には、もっと奥深くに刺さるんでしょうね。いずれ僕も行く道であろう。やだな、フィクションのくせに現実に向き直らせやがって。週末、またガンダムユニコーンに二万突っ込むハメになるぞ。