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カリフォルニア・ドールズのくりふのレビュー・感想・評価

カリフォルニア・ドールズ(1981年製作の映画)
4.0
【泥と白】

初見はたしか名画座。女たちのぶつかる肉の汗くさいフェロモンに酔い、ローレン・ランドン演じるモリーの締まる肢体とピュアネスに惚れ、ピーター・フォーク演じるハリーのせこさと「魔法のバット」に苦笑し、しかし元気は出るけど熱中までは行かない、腹八分目映画だった。

とはいえ妙に、後を引くんですねこれ…。その後んー十年もみないうち、記憶の中で傑作に育ってた(笑)。

で、スクリーンで再会してみたらもう、ラストで泣いちゃって!笑いと涙、どっちが先かわかんなくなりましたが。

当時、興行的失敗が続き、挽回優先だったというアルドリッチ監督は、本作を、頂点目指すイケイケ昂揚映画にもできたろうと思います。が、曇り空ばかりが続く本作、ずっとどこか、物哀しさを引きずっています。心の何処かに長年棲み続けてきたのは、この小さな痛みのせいかもしれない。

最近出た「ロバート・オルドリッチ読本」に書かれてあり参考になりましたが、濃喜劇予定だった本作を、ロケ先のオハイオが不況に喘ぐ様を目の当りにし、監督がその苦味をとり込もうと決め、軌道修正していったらしいんですね。

初見時も、寂れた工場地帯を這うように進むボロ車が心に残ったのですが、ドサ回りをするそんな主人公らの低空飛行な姿は、物語上の設定に留まらず、レーガン政権当時の、弱者の代弁そのものでもあったのでしょう。

そして新人女子レスラーゆえに受けてしまう、ハラスメントの場外無情攻撃。ドールズの二人は汚れを越え、穢れまで受けてしまったかに見えてきて、もうその頃には、本作の術中にまったく嵌っていたのでした(笑)。

「たとえダウンな気分に陥っても、道化師はみんなを楽しませ続ける」イタリア移民であるハリーは、オペラ「道化師」のテープを聴き続け、二人に(あまり説得力ないが)持続を説き続けますが、厳しくとも挑戦し続け、自尊心を獲得することがテーマなんですね。

だからそれが結実に近づくと、やはり、キます。本作の原題には「死力を尽くす」の意味もあるそうですね。

現場でのピーター・フォークは台詞変更魔で、常に監督と衝突していたそう。ハリーを脚本より好人物に変えたかったらしい。その気持ちもわかりますが。でもラストに至ってハリーも変わりますからね。

最終対戦でのドールズには、笑っちゃうほど眩い晴れ舞台が用意されますが、これは「穢れ」をはらうため、勢いで必要なもので、ハリーはわかっていたと思う。ここ、ホント泣けます!

ミルドレッド・パークというレスラーの元で訓練を受けたドールズの二人は、実際にファイトをしており説得力ありますねえ。編集でごまかしていない。最終対戦では今までよりカメラがぐっと寄り、さらに迫力増し見応えスゴイ。

ミミ萩原とジャンボ堀もドールズと対戦しますが、手加減されなかったとか。ミルドレッドとの縁で出演となり、訓練受けたからと遠慮しなかったらしい。

で、ひとつ気になるのが、チーム名の由来が最後まで判らないことです。本作はオハイオからネヴァダまで、ほぼ北米を横断するロード・ムービー。が、カリフォルニア非公式の州歌まで出るのに、その地に至らないんですね。

強敵トレド・タイガースとの因縁試合後も、ちょっと含みを込めているし、自尊心を維持し「続ける」ことにはゴールがないことも、何気に含めてるのか。

助監督で関わり、その後アルドリッチ作品に通底する、自尊心の獲得、というテーマの基となったという、『ボディ・アンド・ソウル』という作品を今回知ったので、機会あったらぜひ、みてみたいと思います。ユダヤ人ボクサーの、八百長試合にまつわる物語、だそうです。

思い入れある分、まだ書きたいことありますが、さすがにこの辺で止めます。

あ、ローレンついでに『探偵マイク・ハマー/俺が掟だ!』も再公開希望。彼女よりバーバラ・カレラさんの方がサービス濃厚だけど、B級な快作です。

<2012.12.24記>
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