父になるということ
2013年 是枝裕和監督作品
先日、義理の父が急逝しました。僕に対しても、娘たち(孫)に対しても、愛情深い穏やかな父でした。
父をテーマにした作品が観たくなり本作を再鑑賞。公開当時、妻と一緒に映画館で観て、最後の父子のシーンで2人で涙したのを思い出しました。本作の息子たちと、下の娘が同じくらいの歳だったので、どっぷり感情移入してしまいました。
『そして父になる』という題名が、あらためて秀逸だと思いました。
父と母はどう違うのでしょうか。母は、子どもが産まれた、正確には妊娠したときから、身体感覚を通して母になるのではないでしょうか。体内に生命が宿るわけですから。母になったことは無いので勝手な想像です。一方の父は、子どもが産まれても身体的な実感はありません。もちろん、精神面での感動はありましたが。
自分自身の経験からしても、父親としての身体的な実感は、子どもが産まれてから生活を共にする中で芽生え、育まれていった気がします。共に過ごす時間とプロセスが、父を創っていくのだと思います。
初回の鑑賞では、自分自身がまさに“父になる”プロセスの真っ只中。仕事が多忙子どもたちと一緒に過ごす時間が無く、出来損ないの父でゴメンねという気持ちがありました。だから、後半に心変わりしてゆく良多(福山雅治)には、共感しまくりでした。
今回は、良多と雄大(リリー・フランキー)、良多の父、3人とその妻(母)、それぞれの想いを辿りながら観ることができました。夫婦や親子の関係性や背景が、繊細に丁寧に描かれていて、しみじみと感じ入りました。
生みの親か、育ての親か。
本作のテーマ(問い)に対する答えを自分自身の経験を踏まえて考えてみました。亡くなった義理の父と実の父。実の父と一緒に暮らしたのは高校を卒業するまで。結婚してからは、義理の父の家の近くで暮らしたので、大人になってからは、実の父(生みの親)より義理の父(育ての親)と一緒に過ごした時間の方が長いのでした。
僕にとっては、どちらも同じ父であり、その思いを育んだのは、一緒に過ごした時間だったのだと思います。
慶多くんと琉晴くん。彼らも6年間、育ての親と一緒に過ごした時間(記憶)は失わないでしょう。物語の先、生みの親と一緒に暮らしてゆく中で、心中には2人の父(母)を併存させて生きてゆけるのだと思います。