まあロドリゲスだから残酷描写ありありエロありありと実にふざけた映画なんですけど(もともとグラインドハウスで予告篇だけ作ったらタラ坊に「作っちゃえよ、ロドリゲス~」って言われて作った映画なんだからバッタモンなんですよ。
でもそのバッタモンが面白くないかと言われるとそうでもないの。特にロドリゲスは人を殺すシーンで強さを発揮するんだよね。もう飛ぶ飛ぶ首が飛ぶ。そんなに首軽くていいのって思っちゃう(ついでに腸も飛ぶ)。ここらへんは「フロム・ダスク~」から「デスペラード」「プラネット・テラー」と大好きな監督なんで「よ!ロドリゲス!」って突っ込んでしまったよ。
ただ今回は別の視点で。
もともとロドリゲスってメキシコ出身の移民だったんだよね。メキシコ系のアメリカ人。そんな彼はアメリカに対していつも思うことがあるんじゃないの。
それは今回のウクライナもそうだけど大国に翻弄される小国の問題なんだよ。メキシコ移民が貧しく、しかしアメリカも肉体労働は移民にやってほしい。そう、これはどの国でもある搾取の構造。アメリカは移民は排斥しろと言っているくせに(トランプなんか特にね)じゃあ汚れ仕事は彼らにやらせろなわけじゃない。
映画でもさりげなくそんなセリフをロドリゲスはモブの男たちに吐かせている。それはロドリゲスが思っている不満(そしてそれはメキシコ人がアメリカに対して持っている不満)なんじゃないかと。
その中でロドリゲス自体も逡巡しているような気がするんだよね。ひどい悪役であるジェフ・フェイビーも「これ以上悪くしたくない」という考えから動いていたし(それでも人はバンバン殺すけど)。
人種差別の親玉議員役であるロバート・デニーロには最後メキシコ人の恰好をさせて殺さず逃がす。それは「お前もメキシコ人の気持ちをわかってくれ」という保守派に対するメッセージかもしれないよ(そのメッセージが上手くいっているかどうかは謎だけど)。
この映画のあとに期せずしてトランプが大統領になりアメリカは分断の流に突入。世界はいやなほどうんざりだ。自分たちのために他者は傅くべきだなんて気持ちがあっちもこっちも。ウクライナでも。
こんなバカ映画だけど少しだけでもアメリカの現状は知るべきなんじゃないの。そしてそれを知らせるものとして映画には力がある(はずだ)。
牧歌的かしらん。