復讐の行き着く先には。
あいつは許さない。
どうにか苦しめたい。
地獄を見せてやりたい。
誰しも、復讐を考えてしまう相手が一人や二人いる事だろう。それは悲劇なのか、それとも...。時にその憎しみは、皮肉にも生きる力になることもある。そして、そのエネルギーは連鎖していくことで、人間はいつまでたっても終わりに辿り着けない。
本当はないのかもしれない。終わりなんて。自分だけの悲劇だと信じ込むことで、復讐は成立してしまう。しかし、この映画を見ていると、ふと思う。
人は皆、自分で決断をして、感情を表現し、行動を律しているように錯覚している。けれど、俯瞰で見てみると、被害者も加害者も、皆復讐心の奴隷だ。
誰かがそれぞれの人間の中に生み出した、復讐心という感情のせいで、今日も代わる代わるその歯車を回し続ける。どこにも行けないというのに。
何も生み出されない復讐の彼方に、遠くで誰かが嘲笑っているような声が聞こえた気がした。
気のせいだろう。
きっと、気のせいだ。