とれクラ

くちづけのとれクラのレビュー・感想・評価

くちづけ(2013年製作の映画)
5.0
死ぬ瞬間の長さをしっかり描いていました。

私のいとこの少年には障害があります。親類で集まっている時、その子と遊んでいた母に向かって、彼がセックスアピールをしているところを見たことがあります。彼はもう体が大きく、力では母は既に勝てません。腕をつかまれた母は「痛い痛い」と言いながら笑い飛ばしていました。しかしその頃私は思春期で、自分の家族が性的対象として見られていることにゾッとしました。そしてそのゾッとした感情を抱いた瞬間に、罪悪感を覚えました。また、すぐに笑い飛ばしてしまえる母に対して驚きました。今でもその時の罪悪感を、たびたび思い出します。

去年、あまりにも部屋を片付けられないのと、忘れ物を沢山するのと、慢性的な肯定感の低さとで、初めて精神科に受診しました。それをきっかけに、友人や家族に「精神病」に当てはまる人がたくさんいることに気づきました。その病気に対して理解がある人は少なく、メンタルの弱い私たちは、ちょっとしたことで散々傷つきます。
でも私は、私を傷付けた人にとって、「ゾッとする」対象になっていたのでした。理解がないほうが「普通」です。私自身が思春期に「ゾッと」していたことから、普通なんだとすんなり認識しました。寄り添おうとする努力や罪悪感さえなければ、この普通は取れません。そして、努力するのはかなりめんどくさい。

私は大学生活を、自分達が世界の中心でクソイケてると思いながら生きていました。それは楽しかったし、大切な生き方だと思います。
しかし自分や家族は生きる中で、ダサかったり、特別じゃなかったり、人を傷つけたり、負担になったりということを
、思ったよりたくさんしています。
そして人生の中で向き合い続ける関係にある人には、その部分を見せてしまいます。
自分が相手の負担になること、その逆、相手の大変な部分も受け入れること、そういった相手がいないと人が生きていけないことが、この映画には余すことなく描かれています。
そしていっぽんとマコちゃんは、二人が家族であったことを最大限に祝福しています。それはお互いが向き合い続けてきた時間、その大変さを含めてです。
日本は尊厳死の考え方が一般的ではないので、いっぽんとマコちゃんの別れが悲劇的に感じられる方が多いと思います。
しかし私がマコちゃんだったら、人生の間にいっぽんのような相手と出会い、共に生きれたことは、幸せだと思います。
とれクラ

とれクラ