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眠れる美女のodyssのレビュー・感想・評価

眠れる美女(2012年製作の映画)
2.5
【社会問題を扱う映画に必要なこと】

植物状態になっている患者の生命維持装置をはずしていいか、という重いテーマを扱った映画。

作中では国会法案として具体的な患者の生命維持装置をはずすかどうかが審議されたり、また別の患者の家族模様が描かれたり、自殺願望のある若い女性を救おうと努力する医師の姿が描かれたりしています。

生命の尊さを訴えた作品、ということになるんでしょうか。

でもね。私は見ていて、あまり感心しなかったんです。

なぜか。例えば国会議員が生命維持装置をはずす法案にひとり反対するってお話。もちろん反対するのはその議員の信念だから別にいいんですが、じゃあ、賛成している他の議員はみなバカかアンチ・ヒューマニストなんでしょうか。

最近先進国ではどこも高齢化が進んでいます。この映画は老人の生命維持装置という設定にはなっていませんけど、でも高齢化が進めば必然的にそういう事例は増えてくるはず。そうなった場合、生命維持の問題は必然的に国家財政の問題とからんでくるはず。或いは、維持に個人負担が大きいなら、個人や各家庭の財産の問題と絡んでくる。

そういう問題意識がこの映画にはない。そりゃ、いちばん大事なのは個人の生命だということは子供だって知っていますよ。だけどそれがお金を食う生命維持装置によってでなければ維持されないとすれば、その先をどうするかという政治の問題が出てくるのは、大人なら誰でも分かることじゃないですか。生命は尊いから国家財政は破綻してもいいのか、或いは個人や各家庭は大借金をしても生命維持装置を何年も何十年も使い続けなければいけないのか。それをこの映画は描いていない。

例えば、娘の生命維持装置を堅持しようとする元女優のお話。あれは家庭内のことだから、当然そういうお金の問題が出てきてもよさそうなのに、なぜか出てこない。不思議だなと思う。家族の介護だけでは済まず、人を雇わないといけないことは作中ちゃんと描かれている。そのお金はどっから出ているんですかね。財産家なのかな。じゃあ、貧乏人だったらどうするの?

社会問題を映画で取り上げるときは、政治家と同じように多面的な問題意識を持っていないと、本当の意味での社会性を持った作品にはなりません。それを痛感させられた映画でした。
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