眠れる美女の作品情報・感想・評価

「眠れる美女」に投稿された感想・評価

dude

dudeの感想・評価

4.0
2009年イタリア、17年間昏睡状態の女性を中心に論争を巻き起こした尊厳死問題。本来は政治的に割り切れないようなテーマ故の群像劇であり、あえて複雑な語り口が採用されていたように思う。登場人物たちは“社会問題”の状況をテレビで知り、その行く末はそれぞれの人生にとって象徴的な意味を持つ。映画だからこそ起こったことよりも起こらなかったことが描かれる。めちゃくちゃ良くできてるんだが、すぐには咀嚼しきれない...。ベロッキオ作品はいつもそんな感じだけど。
祈りと目覚め

テーマがしっかりと時代と紐づけされていることにとても好感を持つ。
LEONkei

LEONkeiの感想・評価

3.0
〝何故、人が人を殺めてはいけないのか?〟

このシンプルな問いに、あなたは即答できるだろうか…。

これはイタリア全土で論争が巻き起こった〝尊厳死〟について考える物語。

約70%を越えるカトリック教徒の国〝イタリア〟ならではの宗教的視点からも、〝尊厳死〟に対する考え方は重い。

しかし現実を見ればいわゆる植物人間状態の患者や不治の病によって苦しむ本人や家族は、宗教をも越える人間個人個人の尊厳の問題ではないか。

人間の終末期に苦しみからの解放を拒む理由が、いったいどこにあると言うのだ。

政治家・女優・医者と3つの〝眠れる美女〟の物語をランダムに展開させ、それぞれのココロの葛藤を描く。

これは〝死〟を考える物語ではなく、現実を見据えた〝生き方〟の物語でもある。

人間も動物で有り生きることには変わりはないが、もし動物と違うとしたら理性や意思をもって生きている。

様々な事情があるにせよ生まれる自由がないとしたら、せめて死ぬ自由を選択しても良いのではないか。

本来人間の存在は時代と共に変節する憲法や法律とは関係なく、最後の最後は自らの意思で人生を終わらせるのも1つの尊厳ではないか..★,
備忘のために

あれ、ベロッキオってこんな絵を撮ってたっけ。確認してみると撮影監督はダニエーレ・チプリー(1962 - )。なんとロベルタ・トッレの『Tano da morire』や『Sud Side Stori 』を撮った人ではないか。

ベロッキオとは『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女(Vincere)』で仕事をしているみたいだけど、このときは気がつかなかった。でも、この映画のカメラは抜群によい。色もよいし、スピード感がある。ベロッキオが若返った感じがする。

演技人はびっくりするくらい豪華。トーニ・セルヴィッロとアルバ・ロルヴァルケルの父と娘ももちろんだけど、ピエル・ジョルジョ・ベッロッキオ(監督の息子さんね)とマヤ・サンサのやりとりは見事だったな。特にサンサのあの瞳の演技には説得力があった。そしてイザベル・ユペールの冷たく熱い演技もすごい。『エル』が未見なので宿題だな。

ベロッキオの映画はすべてそうなんだけど、緻密な心理描写の背景には、きっちりと時代が写し取られている。この場合は、エルアーナ・エングラーロの尊厳死問題がある。2009年の2月、家族の要望で植物状態で17年もすごしてきたエルアーナの延命措置が停止されるのだけど、このときイタリアでは世論が真っ二つに別れていた。

カトリックの影響の強いイタリアだから、尊厳死には強い抵抗がある。しかしエルアーナの家族は、まったく回復の見込みのない彼女の延命措置の停止を求め、長年にわたって裁判闘争を続けていた。エルアーナの延命措置が憲法第32条第2項の「強制的保健措置の禁止」を侵害するとして、その停止を訴えていたのだ。

ここに当時の首相だったシルヴィオ・ベルルスコーニの動きが絡んでくる。2008年、イタリアの最高裁判所にあたる破棄院の決定で、エルアーナの延命措置停止の訴えが認められたのだが、ベルルスコーニはカトリック勢力の支持を求めて、その裁判所の決定をさらに停止する暫定措置法を通そうとしたのだ。

その間にエルアーナは、ようやく延命措置の停止をほどこしてくれる病院をウーディネに見つける。政界では、エルアーナの延命措置の停止を撤回させる暫定法が大急ぎで可決されようとしていたが、最後の最後でナポリターノ大統領が署名を拒否。さらに審議が進められるなか、延命措置を停止されたエルアーナは、予想よりも早く息を引き取ることになる。

ベロッキオの映画は、そんなイタリア史の一瞬に息づくストーリーを、息もつかせぬ生々しさで捉える。その正気を超える生々しさを、ベロッキオ Bellocchio の「見事な(bello)目 (occhio)」は、ただえぐりだすだけではない。何度もえぐられた傷口が、それでも少しずつふさがってゆく、そんな瞬間も決して逃すことがない。

そう、それだからぼくは、何回も湧き上がる感情を抑えることができなくなってしまったのだ。
電気羊

電気羊の感想・評価

3.5
植物人間や自殺志願者に対して尊厳死を選ぶか、それとも延命を願うか、彼らに関わる人間たちは重要な決断を迫られる。自ら死を望む権利もあるし、植物状態から蘇生した事案も確かにある。だが、愛する人には何としても生きていて欲しいし、金銭的な余裕があれば植物状態でも延命を選ぶと思う。でもね。それが健常な人間の生活を脅かすようであれば、やはり延命をすべきではないかな。
ストーリーとは関係ないけれど、自殺しようとしている女性を止めるために頬を打った男を「訴えてやる!」とかおかしな話だよな。
Momoka

Momokaの感想・評価

-
イザベル・ユペールが登場する最後のシーン。植物状態の娘の隣で眠っている彼女が手を擦り合わせながらマクベス夫人のセリフをつぶやくところが印象的。女優としての人生を諦めて娘を献身的に世話しつつも、どこかで罪の意識のようなものに囚われている内奥の苦悩が伝わってくる。
mrhs

mrhsの感想・評価

4.7
久々に傑出した映画を観た。

というかこれは『愛、アムール』を超えてると思う(と書いて何人に伝わるのだろう)。

『夜よ、こんにちは』もそうだったが、マルコ・ベロッキオは映画というフレームの中で別のフレーム(主にテレビ)を多用して現実の複層性や二重性、どうにもならなさを描くが、これは『夜よ、こんにちは』よりさらに洗練され、脚本も複雑になったという印象。

イタリアで実際に起きた1人の女性の尊厳死(の是非)を台風の目としてその周りで様々な人間ドラマが渦巻く群像劇で、登場人物のほとんどが何か心に欠落を抱えているという重苦しさだが、単なる"重い話"になってないのはマルコ・ベロッキオのマッドな(としか言いようのない)センスゆえだろう。
紫色部

紫色部の感想・評価

3.0
2018.1.17 DVD

群像劇もそつなく撮れるベロッキオ。「眠れる」ことへの対象化と目を開けることへの優しい眼差し。女はここでも転落のために窓を開け放つ。
ある一人の植物状態の女性の尊厳死を背景に3つの物語が展開。1つ1つが独立した映画になりそうなくらい。家族や愛する人が相対する思想を持つものたちの葛藤 や、さらには過去の決断を引きずる者など、苦悩する人間たちのドラマが濃い
manekikumi

manekikumiの感想・評価

4.2
信仰と執着、似ているようで人間を狂わせ 尊厳の潰し合い。愛と束縛みたいに。
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