木曳野皐

夏の終りの木曳野皐のネタバレレビュー・内容・結末

夏の終り(2012年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます


「ちょっとでいいの」

確信犯すぎる女、知子。

【夏の終り】と言うのは季節の終わりを指すのでは無く、夏のような焦れったく鬱陶しい、そんな関係性の終わりを示唆しているのかと思う。
劇中、小田原のポスターに映ったジョン・フォードの【わが谷は緑なりき】が何故か凄く印象的でした。

物語の構成と言えば、激しく求め合うなんて言う割にそういう類の性描写は無く、本当に感情論での奪い合いや求め合いでした。割とその類の映画で性描写がここまで無いのは珍しいのでは。
そして過去回想シーンと共に“変わらない現在”と“変わった現在”が入り乱れ、正直何を一番伝えたくて映したかったのか私には分かりませんでした。
結局涼太さんとは喧嘩別れだし、慎吾さんの縁も切ってしまったし…
…知子の気持ち分かるんですよ。少し。
誰だって自分に都合の良い存在は欲しい。
愛と依存の違いって、相手本意か自分本位かなんですって。
じゃあ都合良く扱ってた涼太くんはただ拠り所の依存で、慎吾さんは愛だったのか、って言われると、この子自分勝手だから。
考えても考えても、どっちも結局は依存だったんだろうな、って。それに気づいた知子がただ我儘を云うだけの女から独り立ちしたのかな、って。

結局、この映画で一番好きだったのは紙袋に入ったコロッケでした。
木曳野皐

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