ろくすそるす

まぼろしの市街戦のろくすそるすのネタバレレビュー・内容・結末

まぼろしの市街戦(1967年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

『まぼろしの市街戦』は、反戦ブラック・ユーモア映画の大傑作であるだけでなく、映画史上かけがえのない珠玉の一品であろう。ロバート・アルトマンの『M★A★S★H』は皮肉の毒がいささか強すぎるけれども、本作は『我が輩はカモである』流のマルクス兄弟のようなアナーキーな楽しさも合わせ持つ、まさに「マニアックさ(カルト)」と「娯楽性(エンタメ)」が奇しくも両立したとんでもない作品なのだ。
 ドイツ軍とイギリス軍の攻防の間で翻弄されるフランスの市街を舞台に、門が開かれ抜け出してしまった精神病院の患者たち(各々奇抜な服を着る)、フランス語が堪能という理由だけで市街に仕掛けられた「爆弾の処理」を任された伝書鳩係の二等兵、さらにはサーカスの熊や駱駝、イギリスのおばかトリオの斥侯やドイツの偵察隊などが入れ混ざり、まさに「夢想だにしない」シニカルな展開が待ち受ける。
 だがテーマは実にしっかりしたものだ。「人が人を殺す」という戦争の方が、自分たちの世界に留まる精神病院の患者たちよりも、遙かに「異常」であり「狂気」じみていることを痛烈に描き出している。劇的アイロニー(患者たちが演じる「男爵」や「将軍」という役職を本物であると勘違いする)の連続に楽しさを感じながらも、真摯なテーマが胸に残る。
 特に終盤の英独両軍の『血の収穫』のごとき同士討ち(「まぼろし」のごとく一瞬で終わる)から、現実の戦争を「戦争ごっこ」として相対化してしまう患者たちの発言は真実を突いているようだ。そうして、散々「バカ騒ぎ・お遊び」をした患者たちは、もう十分遊んだと精神病院に返ってゆく。なんだみんな悟っていたのか、と。
 当初患者たちのハイなテンションに辟易していた主人公も、外の世界の愚かな現実(戦場)ではなく、精神病院の平穏な世界(愛すべき奴らの元)に留まることを決意する。
 賢さとは何か、真に愚かなのは戦争をする男たちではないか。これは女たちが「セックス・ストライキ」を起こすアリストパネスの『女の平和』やアラバールの不条理劇『戦場のピクニック』に似たユーモアであり、「戦争」の愚かさを浮き彫りにした愉しく痛烈な傑作だ。