えにし

ホーリー・モーターズのえにしのレビュー・感想・評価

ホーリー・モーターズ(2012年製作の映画)
4.6
ぜんぜん大丈夫じゃないのに平気なふりをしていたこと、心は泣いているのに体は器用に立ち回っていたこと、本当は助けてほしいのに強がってぜんぶ一人でやろうとしたこと。そんな記憶でいっぱいの人生を歩んできてしまった俺にとって、苦い薬のごとく、強く刺して痛みを解きほぐしてくれるような、そんな映画だった。
人が毎日演技という嘘を吐いて生きているのはなぜか。きっとそれは積み重ねたものを壊したくないからだ。信頼とか、愛情とか、協定とか。一朝一夕には成り立たない、時間の蓄積によってのみ得られるそういう関係を、壊したくないからだ。ではなぜ関係を壊したくないのか。それは人は一人では生きていけないからだ。社会とか組織に所属していなければ、人はすぐに野垂れ死んでしまう。つまり人は社会とか組織に所属することに価値を感じている。そして所属するためにはその集団のルールに従わなければならないけれど、素の自分のままだと適応しないから演技をする。のだと思っている。
どうやら演技を生業にしているらしいオスカーは演技をするたびに酷く消耗していく。それはなぜか。本当の自分がすることとは「ちがうこと」をしているからだ。「ちがうこと」をするたびに心には靄がかかる。その靄を払うために、オスカーは自分が演じた役を殺すこともある。けれど、「銀行家を殺す時風邪を引いた」と彼が言うように、いつか殺めた自分に怪我を負わせられることもある。
心のまま生きるのにも、演技をするのにも疲れちゃって、どうしたらいいんだろうと、今まで何度も悩んできた。そんな人にはきっとオスカーが自分のように思えてくる。カメラが回ってないのにどうして演技をしているんだろうとか、そんなこと思う暇もないほどに日常はいそがしい。けれどこんな映画があるから、また性懲りも無く嘘と本当とを重ねていく人生の荒波に人は飛び込んでゆけるのだと思う。そして波に呑まれてどうしようもなくなっちゃったときには、いっそメルドのように、破壊のかぎりを尽くしてみるのもいいかもしれない。きっとメルドは「破壊すること」を「創造」していたのだと、俺は思う。演技をして、自分に嘘を吐いて、そうやって壊さないことでやっと保てていたものを、あえて壊す。きっと大怪我を負うだろうが、それ以上に人生が単純であることに気づくよろこびを創るほうに、人は価値を感じる気がする。そしてそんな単純な人生を、それでも複雑にしか生きれない人間が、ぶきようで愛おしく思えてくる。そんな映画だった。そんな「絶対」がない、面倒臭い人間たちを、機械たちは、戸惑いながらも日常へと運んでいるのかもしれない。
えにし

えにし