ryothis

セデック・バレ 第一部 太陽旗のryothisのレビュー・感想・評価

4.2
首狩り族が誇りを掛けて日本人と戦うお話。
実際の霧社事件というものを映画化した作品なんだけど、反日映画には見えない。というのもこの映画、公平な作りであることはもちろん、結局は「文化が文明にとって食われる話」だから日本人にとっても馴染み深い。
セデック族の未来をなんとか繋ごうとする若者のダッキスが頭目のモーナと話をするシーンで「日本の統治には不満ですか。生活は文明的になり……」と語るシーンがある。ここで思うんだけど、これって今の日本人の若者の思考と同じじゃないかな。
この映画内でセデック族が日本にされてることって、戦後アメリカ統治下に置かれた日本がアメリカにされたことと同じだと思うんだよね。その頃の日本の文化とでも言うべき「天皇崇拝」的な思考は、当時のアメリカ人から見たらかなり野蛮であり、排斥すべき対象だったことは間違いない。そんな文化が文明に食われたから今の日本の暮らしがあるんだよね。正直昔の日本の文化は今の自分達からしても野蛮だと思うでしょ。これって映画内のダッキスとまんま同じ思考なんだよね。
誰が今の世の中で「天皇万歳!!」と言って死ねるやつを賞賛するかね。誰が今の世の中で、火事の建物の中を天皇の写真を取りに行くためだけに戻った人間を賞賛するかね(高校の先生から聞いた実話)。
結局そんな日本人にとっても普遍的な話がこの「セデックバレ」という映画なんだと思う。
日本人とセデック族が違うところと言えば、セデック族は自分たちの誇りを貫き通したということ。当時の日本とは同じ岐路に立っていたけど、違う道を選んだという感じかな。良いとか悪いとかじゃなく。
ただ、印象的なのは映画内ラストの殺戮シーンのバックで流れている音楽の歌詞

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お前たちの喜びの涙は魂の中ですでに枯れ果てている
私の真なる子供たちよ
お前たちは知っているか
悲しみは堪えねば祖先の歌は歌えない
屈辱に耐えねば何も語れない
無念を押し殺さねば夢は叶わない
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

誇りを貫いて死ぬか、苦渋を舐めながら生きるか。当時の人もこの2択を自覚していたことは間違いない。
こんな2択に縛られない世の中になればいいなぁ。

今の日本人があるのは、過去の人が苦渋を舐めてくれたからなのかと考えるとまた色々考えさせられるというか、この1つの命の重みが感じられるというか、やるせないというか。どうしたもんかね。

首狩り族だけあって首狩りの華麗さにかけては他の映画の追随を許さない勢いであることは間違いないし、見るべき映画なんじゃないかな。
というかビビアンスーに似てる美人がいるなと思ったらビビアンスーでした。どうもありがとうございました。
あっそういえばキム兄も出てたね。
ryothis

ryothis