この男が真のタフガイでないことは明らかだ。一貫して哀しきワナビーの話である。劇場で語るピエロという絵面は、これが信頼できない語り手ものであることを暗示すると同時に、彼の肥大化した前立”承認欲求”腺のシンボルのようにも映る。「あなたも僕も9歳の少女だ」「bravado!(虚勢だな)」しかし劇中においてこのことが語られる際、それは必ず、彼と同じく”軽度の”狂人の口によってである。これは押し付けがましさのない上品な手法であり、好みだ。この監督らしい美的センスを感じる。
この男は一体何がしたいのか?本人の中にもその答えはない。彼の絵のモチーフを見れば一目瞭然なように、彼は彼自身にしか興味がないのだ。何も好きになれない哀れな男。