てつこてつ

愛のコリーダのてつこてつのネタバレレビュー・内容・結末

愛のコリーダ(1976年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

Netflix。Wikipediaで調べたところ、ボカシこそ入っているものの、おそらく、無修正版かと思われる。

この作品の正直な感想を書くには、言葉を選ぶのは極めて困難なので、不愉快な言葉遣いに嫌悪感を覚えた方は、その時点で読むの止めてください。

いやあ、公開当時に「日本初のハードコア・ポルノ」として謳われていたというのもあながち間違いではないな。1976年なんてVHSが誕生する数年も前の話だし、日活ロマンポルノだって、きっとここまでハードな描写はしていなかっただろう・・

あまりにも有名な「阿部定事件」の映画化だが、松田暎子と藤竜也の主演二人は、作品中、着衣シーンよりも全裸シーンのほうが多いし、’SEX’なんていう普通の言葉では片付けられない、性器と性器が絡み合う描写が陰毛以外にはボカシは入っていながらも、その屹立具合や本当に出し入れしている様をアップで映すなど、チャレンジし過ぎ・・

昭和初期にはこういう慣習も実際にあったのかどうか知らぬが、旅館に芸子衆を呼び、三味線の唄を聴きながら絡みに入り、挙げ句に芸子さんを巻き込んでの酒池肉林。68歳になる年老いた芸子を藤竜也が抱く描写、女性器に刺身を入れては出し、女性の体液に漬けて食すシーンなど、エロさを超えてグロいと思える描写も多い。個人的には、定が幼児の男の子の性器をギュッとつまむシーンに一番不快感を覚えた。

この作品での阿部定という女性は、「用を足しに行く以外、四六時中握っていたい、舐めていたい」と、惚れた男の身体、いや、イチモツに執着する、ちょっと想像を絶するニンフォマニアとして描かれているが、実際の阿部定の人物像と比較するとあまりにもデフォルメ、もしくは監督にとっては、美化され過剰描写されていないだろうか?房総半島の旅館で勤めた後に消息を絶ち、今は鬼籍に入っているであろう阿部定本人は、この作品を公開当時、実際に観たのだろうか?観ていたとしたら、自身の描かれ方をどのように感じ取ったのだろうか?

阿部定役の松田暎子という女優は、監督がキャスティングしたのも納得が出来る、こういう言い方は世の女性に誠に失礼であるが、瓜実顔で肌が白い、所謂、「男好きのする」美人。「吉ちゃん、吉ちゃん」と舌足らずに愛人を呼び甘える所作に、確かに男心はくすぐられる。対する、吉蔵役の若かりし頃の藤竜也も、整った顔立ちに加え、鍛えられた肉体が褌跡を残してこんがりと小麦色に日焼けしており男の色気がムンムンとしている。

クライマックスの吉蔵の上に跨がり、吉蔵のイチモツを自分の身体に出し入れしながら吉蔵のクビを締めオルガズムに持っていこうとする下りからは、一気に照明も舞台調となり、目を背けたくなるほどの狂気を孕み壮絶でありながらも、同時に、抗いがたい美しさまで感じてしまった。が、最後の最後に、きっちり、吉蔵の竿と玉を包丁で切り取り出す描写も軽く出てくるので、そこで正気に戻される。

この作品は、正直言って好きとは言えない。ただ、事件当時は、阿部定を希代の妖婦として一部崇めた大衆に対しての、大島渚監督のアンチテーゼとしての映像作品であったと考えると、素晴らしく良く出来た作品ではある。

ちなみにNetflixではR-18指定ではあるが、あからさまな性描写に加えて、定と吉蔵の台詞の殆ども放送禁止コードに引っかかるくらいエグイ。
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