ありふれた日常を突き破ったありえない銃弾。
実際に起こった銃乱射事件をモチーフにした作品だが、犯人の生い立ちは一切描かず、手紙で動機、目で心情が描かれる。色彩は奪われ、台詞や音楽は抑制されるため、与えられる情報はごく僅か。しかし、引き算が生み出す情報量が凄まじい。惨劇に反して映像は美しく、余白で語りかける作品だった。
「ゲルニカ」の絵は、これから起きる惨劇の暗示でゾッとした。そして、犯人の背後にあるポスターが「越えてはいけない一線」を表しているようだった。
何かに対する不満や怒りは誰にもあるが、殺人という一線を越える事はない。しかしその可能性がゼロではない所が恐ろしい。犯人がライフル銃を取り出す場面で背後に映るのは鉄橋の写真。橋のこちら側で踏みとどまってほしかったが、殺人の橋を渡って構内へ…。
迷いもなく銃をぶっ放し、凶弾に倒れる女性たち。一発、また一発と鳴り響く銃声と、逃げ惑う悲鳴が耳をつんざく。まるで自分もその場に居合わせたようにリアルで、教室を出たジャンの視点で無力を感じた。
反フェミニズムを掲げる犯人だが、女性=フェミニストではない。理工科系に女性が進出する事によって、男性の席が削られるのが気にくわないのか知らないが、女性だけを狙う犯人は反フェミニズムというより、ミソジニスト(女性嫌悪)に思えた。
教室を出た男の視点から、教室に残された女の視点へ切り替わり、絶望と希望、死と生という男と女の対比が描かれる。ジャンが実家に帰る場面が印象的で、ドゥニ・ヴィルヌーヴが描く「母親」が胸をしめつける。
フェミニストが嫌いだと言って女性ばかりを憎んで殺す犯人よ、お前は「母親」から産まれてきたのだ!母親が女性の権利を主張すれば、お前は母親を殺すのか!ジャンを抱きしめる母の姿を見て、そう思った。
自殺した犯人の血が被害者の血と繋がる場面も印象的で、男も女も同じ人間という事だろうが、自分はこの場面で犯人の孤独感と疎外感を見た気がした。被害者の血は流れずとどまり、犯人の血が女性へと流れゆくのがなんとも憐れだった。