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危険なプロットのtakのレビュー・感想・評価

危険なプロット(2012年製作の映画)
3.8
 かつて小説家志望だったが今は高校で国語を教えている主人公ジェルマンは、作文もまともに書けない学生たちを相手に退屈な日々を過ごしていた。そんな中、目に止まったのが担任クラスのクロードが書いた作文。それは同級生と家族をどこか見下しているような内容だったが、観察眼と文才にジェルマンは心動かされた。ジェルマンは個人指導をするようになり、「つづく」と記される作文にますますのめり込んでいく。中産階級の家庭を皮肉るようなクロードの作文は、同級生の母親への憧れ、家族への殺意と過激さを増し、ついにはジェルマンに様々な要求をするようになっていく・・・。

 フランソワ・オゾン監督は人間観察が鋭い人だと思っている。「危険なプロット」でのジェルマンとクロードは、重要な場面では常に画面の左右に配置される。相対する構図に置き、時に行動を止めようとし、時に相手を煽る二人の関係を示している。クロードの作文を映像で表現する場面では、現実には友達の家にいないジェルマンが登場し、クロードと家族とのやりとりに意見を述べたりする。クロードが同級生の家庭をのぞき見る作文を、のぞき見る教師。だが僕ら観客もまた、それを興味深くのぞき観ている第三の視線だ。僕らが連続ドラマやアニメシリーズのエンディングで目にする「つづく」の文字は、好奇心と欲望をかき立てる。ジェルマンも僕らもクロードが綴る「つづく」に踊らされていく。実際に文学に造詣が深いファブリス・ルキーニ、眼光の鋭さが印象的な新人エルンスト・ウンハウアーの起用は実に見事だ。

 登場する人物はみな個性的。ジェルマンを批判しながらも、作文に同じように惹かれていく妻ジャンヌを演ずるのは、クリスティン・スコット・トーマス。夫への共感を示しながらも、時に文学や夫の行動を辛辣に批判する。
「ジョン・レノンを殺したマーク・チャップマンだって、「ライ麦畑でつかまえて」を持ってた。文学は何も教えないのよ。」
と小説家志望だった国語教師にあっけらかんと言い放つ。ネクタイにベスト、細身のパンツというマニッシュなファッションも彼女の個性を感じさせてとても印象に残った。同級生の母親役は、ロマン・ポランスキー作品などで活躍するエマニュエル・セニエ。インテリアの仕事をしたいという願望を抱えながらも、夫の仕事の愚痴と家事に追われる満たされない日々。そんな専業主婦を生々しく演じている。

 この映画に登場する人物はみんな満たされていない人だ。クロードが求めていたのは自分を理解してくれる存在。ジェルマンが求めていたのは自分の夢を託せる期待に応えられる存在。それは子供がいなかった故でもある。同級生の父親は仕事で認められたい。数学ができない同級生は親友が欲しい。そして二人の妻も自分自身を夫や世間に認められたい。この映画が巧いのは、それらが単に心情として語られるのではなく、形として示されているディティールへのこだわりだ。売れなかったジェルマンの恋愛小説、ジャンヌのギャラリーに並んだ奇抜で万人受けしそうにないアート作品、インテリア雑誌に挟まれた間取りのメモ書き・・・。そんな満たされない欲求が、クロードを介して複雑に絡み合い、悲劇的な結末へと走り出す。ジェルマンとクロードが並んでベンチに座るラストシーン。すべてを失う悲しい結末なのに、同じ視線を共有している二人の会話からは、理解者を得た幸福感が漂ってくる。とても不思議な余韻が残る映画だ。オゾン監督作品は、ジャンル分けするとヴァラエティに富んでいるように見えるが、どの作品にも僕らをスクリーンから目をそらさせない魅力的なキャラクターがいる。それは監督の人を見る眼あってこそ。
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