Torichock

ばしゃ馬さんとビッグマウスのTorichockのレビュー・感想・評価

4.5
「バシャ馬さんとビックマウス」

RHYMESTERの"ONCE AGAIN"という曲の宇多丸のヴァースに、こんな節があります。

~"夢" 別命 "呪い"で胸が痛くて 目ェ覚ませって正論耳が痛くて いい歳こいて先行きは未確定~

http://m.youtube.com/watch?v=0JxL3zWIWtQ

僕が敬愛してやまないバンド髭-HIGE-の"夢でさようなら"突然いう曲にはこんな歌詞があります。

~夢がさめないHO-HO-HO 僕ら暗闇HO-HO-HO 満たされるたびHO-HO-HO 忘れてゆくねHO-HO-HO~

http://www.nicozon.net/watch/sm8960208(ニコ動しかなかった)

僕の好きなミュージシャンが、これだけ語ってることから分かるように、夢というものは、人生を目標に突き進ませるエネルギーであると同時に、夢叶わぬ者たちを縛り付ける呪いであることだと僕は思います。
いや、思うようにするべきなんだと思ってます。
なぜ、思うようにするべきなんて言い方をするのか?それは、自発的に思うようにしないと、人はいつまでも夢と別れることができないからです。
夢は呪いで、夢は麻薬。

本作は、"さんかく"や"麦子さんと"の吉田恵輔監督作品。去年観ようと思っていたのに、観れなかった一本でやっとレンタルして観ることができました。不躾ですみません、本作で確信したことを言わせてください。
僕は、吉田恵輔監督の映画が好きです。
胃をキリキリさせるようなイタいキャラクターが、人間のダメなところとかを包み隠さず描きつつも、どこか滑稽でクスリと笑えるユーモアもあって、僕は吉田恵輔監督を愛すべき映画作家だと感じています。

物語の主人公・麻生久美子演じる馬淵さんは、夢の脚本家を目指して、脚本のネタになるものならばすぐに飛びつき、監督と名のつく人になら媚びへつらい、バシャ馬のように奔走する34歳の独身女性。
そして、安田章大演じる、自身を天才・才能の塊と喜々に語る、明らかに何も出来ないビックマウス男・天童。

最初はぶつかり合いながらも、同じ脚本家としての夢を追いかけながら切磋琢磨し合い、やがて夢に手をかけるまでを描く物語...

なんて、甘ったれた映画にしないのが吉田作品の意地悪かつ、胸に突き刺さる作品を作り続ける風格なのではないでしょうか。
例えば馬渕さんは、脚本家にかける情熱は素晴らしいと思うんです。だけど、どことは言えないけど漂ってしまう、薄っぺらさ。薄っぺらい馬淵さんにかける本は、やっぱり薄っぺらい。ビックマウス・天童は、言わずもがな。
物語後半、二人がお互いの作品を手直しや褒め合いながら協力するシーンがあります。だけど、なんとなくわかってしまうんです。
この二人が協力し合ってもたかが知れてるんではないかという雰囲気と、薄っぺらい二人が褒め合うモノは所詮薄っぺらいのではないか?という、絶望的にも思える、そこにある確かな現実。
夢は信じていれば必ず叶う、そんな生温い理想はそこにはないんです。
夢は、夢に見合う努力をした先に、夢から愛され選ばれた人間のみが手にすることができるものなんです。
指先で少し触れることはできるかもしれない、2、3年はチヤホヤされて夢を掴んだ気になれるかもしれない。でも、夢で飯は食えないし、夢で家賃は払えない。夢を現実に変えてなお、それを日常に変えられる力を持たなくては夢で生きてはいけない、そんな感じでしょうか?イタいです。

では、夢を持つという事は、夢破れるたいていの人々にとって悪いものなのでしょうか?夢の多くは後悔となってしまうのでしょうか?
それはあまりに残酷すぎるし、煌めきがないようにも思えます。
"夢はあった。だけど、夢破れて今、ここにいる"
馬淵さんの元カレ、岡田義徳演じる松尾くんが夢だった俳優という夢に秘めたる情熱をまだ隠し持っていることを告白したとき、夢破れた者の切なさと同時に、その残り火にどこか喜びを感じました。
実はこのシーンで2年前くらいの怒り新党で、"夢は叶うなんて、簡単に言うな"という投稿に対し、マツコと有吉がこんな事を言っていたのを思い出しました。

マツコ "30にもなって何言ってんの。そんなこと言ってたら誰も頑張らなくなる。『夢は叶う』の裏にはがんばりましょうよ努力しましょうよってメッセージがあるの"
有吉 "また次の夢を目指せばいいじゃん。くっだらない。 俺は芸人になるという夢は叶ったけどああいう芸人になりたいって夢は敗れた。 だけど敗れた次の目標を目指してるとき『頑張れば夢は必ず叶う』は来るでしょ"
マツコ "結局そういうこと言う人って努力してない人なのよ"
有吉 "クソバカ野郎だよ"

いつ自分の一番の夢に見切りをつけるか、そして良きところで現実の自分に見合った夢に軌道修正出来るか。

だからこそ、夢に見限られ続けた馬淵さんが、居酒屋で天童が嬉々に語る、脚本家を目指したくだらくてしょうもないけど、純粋で確かな理由を聞いて、自分が脚本家になりたいという情熱が、純粋な夢ではなく、夢に見切りをつけることができない執着・呪いだと気付き、涙を流したのではないでしょうか?
僕はこのシーンで、ジワーッときました。
憧れてた夢、なれたらいいなと思ってた夢に、自分が近づく・あるいは目指すだけの情熱がないのを分かった瞬間って、誰にもあるんではないでしょうか?僕にはあります。
だからこそ、本当に本当に苦しかったし、挑戦さえしなかった自分を情けなく思えました。
そして、こんな思いにさせる吉田恵輔監督は、容赦ない監督だなぁと思いました。
容赦ないといえば、、馬淵さんと松尾がエッチをしそうになるときに馬淵さんが放つ一言がとつもなく滑稽で、それで戦意を喪失する松尾もまた滑稽で、その松尾を見て"あっ、今言う事じゃなかった"みたいな顔をする馬淵さんがさらに滑稽で、ここらへんの一連の流れは、吉田監督節って感じで笑いつつも、キリキリしてしまいました。

さて、どんだけ暗く重いんだ!と思いがちな映画かもしれませんが、そんなことはありません。
ハッキリいって、喜劇なので笑えますし最後はホロリとします。だけど
、その喜劇を観ながら、自分のイターいところをチクチク刺してくるのも間違いない、吉田恵輔作品でした。
オススメです!
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