アンナ

ハンナ・アーレントのアンナのネタバレレビュー・内容・結末

ハンナ・アーレント(2012年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

この映画はつい数年前に作られた映画で、過去の克服に取り組んだ作品であり、現代を生きる私たちの視点と重なるはずである。
アイヒマン裁判で分かった、ホロコーストに深く関わり異常な悪を犯したはずのアイヒマンが、凡庸な人間であるということにフォーカスが置かれる。
アイヒマンだったからではない、誰もがこの悪に染まったかもしれないという可能性は、ホロコーストに直接関わることのなかった世代の人々も理解すべきことである。
冷静かつ客観的に考え、理解することこそが、私たち新しい世代のすべき義務であり過去の克服のみならず未来のための学修になるだろう。

ホロコーストはどのように表象されているか
具体的な場面やシークエンスを提示して見解を論証
この映画の特徴は、リアリティや身近さにある。
ホロコーストでは想像の限界を超えた行為が多く行われていたにもかかわらず、こういった特徴を感じられるのは珍しい。
これは、ホロコーストという、表象が非常に難しい題材を取り上げる上で、正確にはホロコーストのその後ではあるものの、一種の成功をある程度達している証拠なのではないかと思う。
まず、この映画では、ユダヤ人の連行の様子や収容所での様子、第二次世界大戦の最中の様子は描かれない。
徹底してアイヒマンが捕まったあとのことを、アーレントはもちろん、あらゆる立場の、一般の人々を通して描く。
そのため、現実離れした感覚を引き起こすような表現もほとんどなく、ホロコースト関連の映画の中では比較的リアリティを抱きやすい。
次に、裁判のシーンでも工夫がある。
使われているアイヒマン裁判の映像は実際に撮られたもので、モノクロの映像だ。
ここに、カラーの記者たちの様子を映した映像を差し込むことで、モノクロ上の出来事、つまり昔の、歴史上の出来事という距離感が詰められ、現実のできごととして迫ってくるような印象を受ける。
更に、アーレントの人生や人柄自体にフォーカスしたシーンも多く含まれている。夫との関係、友人との関係、こういった、当時のアーレントの文章を読んでいた多くの人々は決して知ることのなかった一面を描けるのも映画ならではのことで、これによって見る側はアーレントに対して親近感を抱きやすくなっている。アーレントの考えは冷徹で傲慢と多くの人々から評価されていたものの、実際はそうではないということを感じやすくなる作用がある。
最後に、ホロコーストに関して学ぶと、人々はその壮絶さや悲惨さに意識を奪われ、現実離れした感覚を抱く者は少なくないだろう。理解の範疇を超えていると諦めたくなることも多い。しかしそこで思考自体を止めて、理解することから逃れるのが一番危険な行為だ。映画の中では、理解という行為と擁護や許すということが同一視され、アーレントが批判の目にさらされていたが、彼女が言ったとおり、理解することと許すことは別だ。
我々はホロコーストを許さず、決して繰り返さないためにも、理解する必要がある。無用な存在を作り出してはいけない。そういったことを伝え、ホロコーストを体験しなかった人も理解しやすくなる鍵を提示し、近い目線で共に考えられるこの映画は、ホロコーストの表象において重要な一端を担っている。
アンナ

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