どこまでもかわいいフラーおじいちゃんとどこまでも渋いジムおじさんのアマゾン放浪記。“サミュエルフラー”クラスになると企画が頓挫して撮られなかった映画についての映画が撮れちゃうんです。フラーの映画は『チャイナ・ゲイト』と『ベートーベン通りの死んだ鳩』ぐらいしか観ていないのだが、その鑑賞意欲だけをそそられてモノがないっていう生殺しムービーでもある。フラーはそんなに意識しているようには思わなかったが、ヘルツォークにしろ、ゲストの空族にしろ、後に『デッドマン』を撮ることになるジャームッシュにしろ、文明に撹拌されていない独自の文化、神聖な処女的オリジナリティを持つ何かに惹かれるってのは必然なのかもしれない。
あと言い忘れたけど、これのどこにミカ要素があるのか。もはやクレイジージャーニーだと言われても気付かない。というか我らのヨシダナギさんがいつ出てくるのかとちょっと期待した。
《TNLF2018》