1978年 ”事 件” 監督 野村芳太郎 脚本 新藤兼人
原作は「野火」の大岡昇平の同名の小説で原作は未読だが。
1978年昭和53年製作の時代をしみじみ感じさせる映画。
未成年者(19歳という設定)による殺人事件をめぐる法廷劇である。原作小説がそうであるのだろうけど、裁判の様子が丁寧に描き込まれていて見応えがある。
姉妹が同じ男を愛してしまったことから生じる愛憎劇の真相を法廷劇のスタイルで紐解いていく。
公開されて数年後のテレビ放送が初見だったが、解説者の荻昌弘氏が
ラストシーンを褒めちぎっていた記憶がある。
今回見直してなるほどと同意した。そこには女の強さ、したたかさ、
健気さを体現した大竹しのぶの妊婦姿が屹立していた。
それに加えて、当時の空気感をおぼろげながら記憶する人間にとっては、「そうだよなぁ、家の貧しさはこんな感じだったよな・・・」と
ノスタルジーに浸りきる時間でもあった。
脚本の新藤兼人も野村芳太郎監督も、動きの少ない裁判シーンが
多いので、その点での苦労がしのばれる。
だが、やはりその裁判シーンは見応えがあった。
特に芦田伸介である。検察の起訴状朗読を全文やってのけ、
その後の冒頭陳述もきっちり朗読していた。
退屈しないような演出は施されていたとはいえ、彼の力量に負うところも大きい。丹波哲郎や佐分利信ももちろんよかった。
この3人をキャスティングできたのが大きかった。
そして出るは出るは豪華な証人たち。
西村晃、北林谷栄、森繁久彌、乙和信子、佐野浅夫、渡瀬恒彦
山本圭、夏純子、他もう見事、見事の一言。
特に殺害されたハツ子(松坂慶子)を追いかけまわしていた
資産家の老人役の西村晃が光っていた。
自分を脅して飲み代を取り立てたハツ子の情夫ヤクザ宮内(渡瀬恒彦)
が証言台で、”夢の中でも脅したことなどない”と偽証した直後
傍聴席から小声で”嘘つき”と口にする西村のワンカット、
それに続く丹波のほくそ笑みの表情
このカッティングのセンスは申し分ない。
本作品はミステリー的要素もあるけれど、被告の宏(永島敏行)は
最初から殺人を認めているので、有罪か無罪かを争う類の裁判ではない。真犯人は誰かという謎解きはここにはない。
むしろ有か無か、善か悪かというシンプルな二項対立でないところが
また見応えのあるところでもある。
被告が未成年であるという観点、故意か過失かという論点などが裁判の焦点になってくる。故に事件の真相を探るという意味での推理小説的醍醐味はここでも充分味わうことができる。
この法廷で裁かれる庶民たちのドラマがこれまた人間臭いものばかり。ひとりの男被告の宏(永島敏行)をめぐる姉ハツ子(松坂慶子)妹ヨシ子(大竹しのぶ)の愛憎、ヤクザ男(渡瀬恒彦)の嫉妬、
被害者ハツ子、ヨシ子たち家族のふしだらさを罵倒する
被告宏の父(佐野浅夫)などなど。
そこに目撃証人たちそれぞれの人間模様までもが剥き出しにされていく。真実を求めるためとはいえ、人格を傷つけるようなことさえ辞さない法というものの非人間性に辟易とさせられるドラマでもある。
そして特筆は大竹しのぶです。
当時21歳の彼女の証言台での演技は、ただただ凄い。
妹・ヨシ子(大竹しのぶ)は表面は良い子のようでいながら結局自分の欲しいものを最後に手にいれてしまう女のしたたかさのようなものはよく出ていたと思う。
宮内がヨシ子に対して「おぼこな顔して大したタマだよ」と告げられるのが印象的である。
ラストに、宏(永島)に面会に行く途中で宮内(渡瀬)に会った
ヨシ子は「うそつきのくせに」と言うが
宮内に「どっちが」と返される。思わず笑ってしまった。
僕は妙に松坂慶子の悪女っぷりが好きだったなぁ。
松坂慶子の崩れた感じのホステス役のとしては何度も観て
潔くて、観てて気持ちいいぐらいだった。
いまの日本映画界の俳優は、本作が公開された1978年当時と比べると、層が薄くなっている気がする。
映画はデジタルになり、CGでなんでも映像化できるけれど、
役者の芝居はやはり人間のもの。
僕は大きいスクリーンで役者の芝居を観ていきたい。
2017年3月14日(72歳没)亡くなった渡瀬恒彦さんの追悼として
日本アカデミー賞、キネマ旬報賞、ブルーリボン賞で助演男優賞を
とった作品という事で鑑賞。
役柄としてはすでに東映作品にて見慣れてきたものだったので
特段、凄いとも思わなかったがああいう飄々とした悪い男は渡瀬さん
ほんとにお上手です。
渡瀬の名セリフ「おぼこい顔してやるのう!」の通りの好演