Torichock

クローズEXPLODE(エクスプロ―ド)のTorichockのレビュー・感想・評価

3.9
「クローズ EXPLODE」

豊田利晃祭、開催中


以下、今回改めて観てからの再レビュー。

当時、あまりにも不評で、耳を疑った日々を過ごしていた。
"こんなもん、クローズじゃねぇぜ!!"
という言葉をたくさん目にした。
でも、"カラスも喰わねぇ、生ゴミ"

とか、そういう気の利いたことは言わないんだねぇ、とか思ってた。

豊田監督の作品には必ずと言っていいほど、他の誰にも撮れないようなカッコイイシーンがあるし、ざわついた熱く乾いた音楽使いと、頭を離れないドライで達観したような切れ味とユーモアに満ち溢れたセリフ。
僕はこれがあり続けるだけで、豊田利晃を見続けるつもりだし、僕が受け止めている、

"世界から断絶・隔離された世界の中で、自分の生きる道を見失い彷徨いながら、やがて仲間の消失や心身に深く刻まれる痛みと引き換えに、自分の歩み方を見つけていく"

豊田利晃の姿勢は、僕にとって大切なキーワード。

多くの人が指摘するように、主役の演技面での言及に関しては、僕にとってどうでもよいこと。映画の中で、そのキャラクターが生きていれば充分。そんなことよりも、時折飛び込んでくる、目を疑いたくなるほどにカッコイイシーンや空気感に、心を奪われずにはいられない。
その美しいシーンの数々は、三池崇史にはどう考えたって撮り得ないと思う。

確かに、三池監督が手掛けた前二作の続編として見ると、どう考えても分が悪いのは否めない。これからグイグイ来る!俳優がたくさん出ていた前作に比べれば、キャラクターが薄く感じるは仕方ない。
でも、本当にそうでしょうか?
やっぱり何度見直しても(今回、6回目)、俳優が有名じゃないだけで、キャラはちゃんと立っているのでは?

キンタマを連呼するELLYはめちゃくちゃカッコイイし、柳楽優弥の強羅は孤立無援の中、公開当時からずっと評価していたけど、「ゆとりですけど、なにか?」とか「ディストラクション・ベイビーズ」を観てればわかるでしょう。勝地涼のチャラついたキャラも、やべきょうすけと同様に大切なもの・今しかない代え難いものをギュッと締めてくれる。
そして何より、僕は東出昌大が好きです、ええ。

もし、勝地涼のキャラクターが、三池崇史と山本又一朗プロデュースで撮られていたら?と思うと、ゾッとする。
そもそもこの、山本又一朗って人がガンなんだけどね。
(ちなみに、小栗の事務所の社長で、「ルパン三世」とか「シュアリーサムデイ」のプロデュースしてる、要は志の低い人)

とにかく、僕は完全にこの映画の擁護派。

というか、実はこの不評理由は、たった一つの言葉で片付くことなんです。
それは






"芹沢多摩雄がいないから"








本当はそれだけですよね?

滝谷ゲンジ(小栗)とかクソどうでもいい。
山田孝之の芹沢多摩雄抜きで、クローズはあり得ないって話でしょう。それは、僕もそう思いますよ。

動物園に行ったら、ライオンいないと凹むでしょ?
「ダークナイト」、ジョーカーが出てこないところはつまらないでしょ?
AVで本番ないの嫌でしょ?
それと一緒。

多くの人が指摘してる点、こんなのクローズじゃない!っていう点は、勝ち上がりたい連中の戦いを見たいのに、孤独とか将来とか友情とかそういうノイズが、物語というかケンカ=不良映画の邪魔をしてるんではないか?という点。

それは、指摘通り、その通りだと思う。

だけど、僕はそここそが好き。
前二作に乗れない部分があるとしたら、そのヤンキーイズムだった。
「1」はまだ、やべきょうすけのキャラクターの背景を含めてドラマに富んでいたけど、「2」はなんか話が面白くない。芹沢出番少ないし。第一、三浦春馬って...
いくら演出したところで、三浦春馬なんて僕だって30秒あればケリつけられるでしょ...しか思えない。

あとは、主役・滝谷ゲンジのキャラクターと見た目の弱さと、主人公の風格。
山田孝之と張り合える必要がある男が小栗旬、という俳優それ自体の問題もあるけど、この男、主役に置くようなタマではない。こんなやつは、ELLYにタマを取られても仕方ない。正直、滝谷ゲンジの行動や周りの担ぎ方ひとつとっても、どうも腑に落ちなかった。
また、前二作におけるケンカは、アクションシーンのカタルシスとして存在していたとしたら、本作におけるケンカはあくまで心を通わす手段だったんだと思う。
これは多分にあるはず。
豊田利晃の過去作を見れば分かるけれど、暴力的な映画はたくさんありながら、暴力を肯定してる映画はないし、むしろ暴力に対しては突き放した態度をとっていると思う。だけど、暴力でしか会話が出来ない人間の、どうしようない愚かを撮り続けているような気さえする。
だからこそ、だからこそ、このシリーズのケンカシーンを見て、暴力の瞬間的な快楽に酔って、それこそ映画館を出てオラオラしたい人たちからしたら、この豊田利晃版の「クローズ」は消化不良になるような、ケンカの捉え方だったのでは?すなわち、不評に繋がるってことか。
みんな、ヤンキー映画を観て、スッキリ爽快で、オラオラしたいってわけ。

そんな本作の暴力に対する捉え方を体現したのは永山絢斗が演じた、藤原。
僕は正直、この藤原の気持ちとか考えると、胸が苦しくて苦しくて仕方なかった。
なんて愚かで無様で情けなくてかわいそうなやつなんだろう?と。
こいつの苦しみを、誰かに救ってほしいとか思った。そんなことを思える時点で、僕は本作に合格点を送りたい。

最後の決闘のシーンを思い出して欲しい。

不良映画における、

決着をつけないでケンカを止める

というシーン。
これはある意味、禁じ手に近いようなシーンなのではないか?このシーンがあるということが、この作品は、暴力によるカタルシスがどうこうじゃないんだよ、という語りかけのように僕は思えた。
そして、ラストに流れる音楽。

OLEDICKFOGGYの"月になんて"

月になんて行かなくていい
同じ過ちを繰り返すなら
星になって照らしてくれる仲間よ
僕は間違っていないはずさ

素晴らしい回答だと思った。
そして、なんてカッコイイ音楽の使い方をするのだろうと。

鏑木旋風雄の過去の暗い影に反して、その行動原理には無理があるというか、ハッキリ言って矛盾してるところもあるし、脚本としてどうなの?というところはかなり目立つけれど、これまでの作品よりも色濃い商業作品かつ傭われ監督に徹したっぽい雰囲気の中にも、これだけの豊田利晃的な瞬間やセリフ回し、テーマ性及び、豊田マジックがかかったしか言いようのないカッコイイシーンはいくつもあった。何より三池監督には撮り得ないものがたくさん観れたことと、あのダサいライブハウスシーンや音楽のセンスに比べれば、今回のライブハウスシーンや音楽のセンスはさすが。本当にカッコよかったです。

要するに本作は、作中に出てくる走り屋のクルマ。
様式化されたヤンキー映画とは違う、ボロボロだけど、好きな人の心を何よりもくすぐるもの。
それは、豊田利晃映画の画とセリフ、そしてdipのクールな音楽の使い方なのではないでしょうか?


"ちゃんと昼飯食って来いよ"


このセリフを入れられる豊田利晃が好きで仕方ない。
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