Jimmy

パッションのJimmyのレビュー・感想・評価

パッション(2012年製作の映画)
4.3
初見は日本初公開時(2013年10月8日)にTOHOシネマズみゆき座で、二度目はDVD化された時、今回=3回目はBlu-rayで鑑賞🎥
初見後には「映画評」を書いてキネマ旬報に送ったら、「読者の映画評」に掲載された作品でもある。
やはりBlu-rayはDVDよりも画質良好で、スクリーン鑑賞時なみの高画質✨

さて、本作、大好きなブライアン・デ・パルマ監督作品。
めくるめく流麗なカメラワーク、ブロンド女、双子エピソード、画面分割、デスマスクのような仮面など『デパルマ・タッチ』が盛り込まれ、確かにブライアン・デ・パルマ監督しか撮れない映画となっている。

本作は、アラン・コルノー監督の遺作となった『ラブ・クライム 偽りの愛に溺れて』をリメイクした作品であり、「中年上司と若いアシスタント」を「同世代の女性たち」を主役とする設定変更を行っているものの、物語はほぼ「そのまんま」…😄笑
デ・パルマ版を映画館に観に行く前に、「コルノー版を観てから行くか?」と迷ったが、観ないで映画館に行って良かった🤗

物語は、2人の女性が並んでパソコン画面を覗きこんでいる場面から始まるが、この二人が上司クリスティーン(ブロンド女=レイチェル・マクアダムス)と部下イザベル(黒髪女=ノオミ・ラパス)であり、上司が部下の手柄を横取りしたことから女同士のバトルが始まる。この2人に加えて、イザベルの部下ダニ(赤髪女=カロリーネ・ヘルフルト)も登場させた髪の色による対比が面白い。

ストーリー展開自体は、アラン・コルノー監督によるオリジナル作品『ラブ・クライム 偽りの愛に溺れて』をほぼ踏襲しているが、オリジナル版でモヤッとしていた終盤部分を「犯人による殺人映像(盗撮映像)」として呈示することでデ・パルマ監督は結末の明確化を実践して、オリジナル版のフォローをしている。
これは、ルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』で「窓の外にぶら下げたままのロープ」を、緒方明監督のリメイク版では確りとロープ処分をして、オリジナル版フォローしたのと似ている。

この映画、デ・パルマ監督作品として違和感をおぼえるのも事実である。
他の監督作品のリメイクであることや、物語が女性同士のバトルを描いた点はデ・パルマ監督の新たな試みとして見ることもできるが、違和感が顕著だったのは『画面分割シーン』である。
デ・パルマ監督の場合、この画面分割は緊迫感あふれるシーンで使われることが多いが、今回は画面分割した際の「左側はバレエ場面、右側は狙われるクリスティーン場面」と日常場面と緊迫場面の併映となっており、緊迫場面を異なる視点から分割場面とする従来の手法を変える試みをしているが、日常場面(バレエ場面)が大きく違和感あり、緊迫感を削ぐ結果となってしまったのは惜しい。
ただ、画面分割の右側のクリスティーンの描写で「分割した画面の中で、更に『クリスティーンを覗く』ような狭窄的な描写」はデ・パルマ監督らしさを醸し出していた👍

また、画面分割の直後から、「実は夢だった」場面でストーリーをぼかしたことで、観客にはクリスティーンを殺した犯人が「いったい誰?状態」になる。
『ファム・ファタール』での「長時間にわたって観客に見せた場面が夢だった」という観客を惑わす手法がデ・パルマ・ファンには「今、延々と描かれている物語は実は夢ではないか」というトラウマになってしまった気がする。
『キャリー』ラストの悪夢シーン(墓から手)などの「実は夢だったシーン」は効果的だったが、夢シーン多用は避けて欲しいところ。

この映画でも夢のシーンがあったが、『ファム・ファタール』ほど長い夢ではなかったのでホッとする。
延々と見せたシーンが夢だったというのは、一生懸命に映画を観ている観客を愚弄する行為にも思える。

さまざまな新しい試みも含まれるデ・パルマ監督作品であるが、流麗なカメラワークと映像美は独特であり、デ・パルマ監督の健在ぶりを示す映画だったと思う。

【補記】
 Blu-ray特典映像でデ・パルマが本作を語った映像が収録されているが「誰が誰を殺すのか?終わりまで分からない。それがスリラーのあるべき姿かも…」と語っている。
だから、こういう作り方にしたのか……などと思う。

<映倫No.45904>
Jimmy

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