このレビューはネタバレを含みます
一睡もせずに鑑賞できた。
人生の中でおそらく一番長い映画体験になるだろう。調べてみたら一位は857時間だそうで、サタンタンゴは5位とからしい。
少女と猫のシーンと、大人たちが踊っているシーン、三人の男が竜巻の中を歩くシーン、馬たちが走ってくるシーン、牛たちのオープニング等々、
全てのシーンが長回しのせいか印象に残っているし、覚えている。
映画は見たら大体すぐに忘れるたちなのだけど、こんなにすべて覚えているのははじめてかもしれない。
ストーリーはシンプルで特筆すべき点はないが、小説が原作というのは観ていて納得した。
子供が猫を虐待したり、解剖したりする話はよく文学にある。三島由紀夫『午後の曳航』の描写は特によく覚えている。
文字だからなんでも書けるわけだが、映画で生身の生き物を使って子供の残酷性というものを表現したのがこの作品の要だったと思う。
かたや殺された豚の足がまるまると鍋に入っているシーンについては動物愛護団体も家畜として文句を言わないだろうが、
それが愛玩動物の猫となると総バッシングを受ける。
先導者となる男と、トラックに詰め込まれる街の人間たちの落差も、猫と豚の構図に似ている。彼らの表情や、顔に刻まれたシミは牛や豚に近いものがあるのに対し、
先導者は私たち観客にちかい、見慣れた綺麗な顔をしている。
私たちが日々差別し、勝手に選定している殺しても良い命と、守らなければならない命。あるいは自分に都合の良い命と、都合の良くない命。勝ち組と負け組。そんなさまざまな構図が率直に描かれている。
少女からして唯一の友であった猫が、あまりにも簡単に死んでしまったのをみて、
少女は自らを殺しても良い命だと決断したのだろう。
公共性というものはテレビやメディアに求めるもので、映画に求めるものではないという意思すら感じる。