サタンタンゴの作品情報・感想・評価

上映館(5館)

サタンタンゴ1994年製作の映画)

Sátántangó/Satantango

上映日:2019年09月13日

製作国:

上映時間:438分

ジャンル:

あらすじ

「サタンタンゴ」に投稿された感想・評価

makkkkism

makkkkismの感想・評価

4.1
約150カットの超長回しの映像によって紡がれた12の章で構成される438分の長編。

上手くつかめない時代性や独特の構成、そして陰鬱な長雨が、退廃的で悪夢から抜け出せないような、あるいは、映画に流れる世界の中においても、目にしているのが現実なのかそうでないのかよくわからない(映画の登場人物にとっての夢なのか?)。
独特の長回しで目にするカットの大半は、心理描写を前面に押し出さず、どんな状況においても時間は流れている、という感覚のもので、見ているこちらの忍耐が試される。
少なくとも、私は没入感という類の体験というより、今私は何を見せられているのだろうと、一瞬物語を忘れていくような気の遠くなるような思いでした(実際、前半、独特の長回しの時間感覚が、どうも自分のリズムに合わず、何度か寝落ちしました…苦笑)。
でも、体の疲労とは裏腹に、長回しに慣れていく過程で、そこに映し出されている世界をどこか受け入れるようになり、まるで、村人同様、何かこの不自由な状況(ほぼ満員の映画館の環境と決して心地いいとは言い切れない椅子の座り心地、静かで身動きの取れない感じ)から救いを求めて映像に見入るような感覚だった。

少女の章(5章)と村人たちの狂おしいダンス(6章)は他にも増して恐ろしい。正直、少女のお話は見ていてキツイ描写がある(にもかかわらず長回しが容赦ない)ので、苦痛が他にも増して大きいし、もう目を覆いたくなるというか…そしてそんな彼女が目にした村人たちのタンゴ(=次の章で流れ続けるタンゴ)は、すべてを目撃している観客にとって、異様な時間。

映画館で見ないと、多分一生釘付けで見ることはないだろうから、思い切って見てきたけど、奇妙な体験をした気がする。

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ガス・ヴァン・サントの『エレファント』は本作の影響を受けているということで、なるほど!と。久々に『エレファント』見たい。
atsuki

atsukiの感想・評価

4.0
全章において閉められ続ける扉が、開けっ放しにされた5章から「ほころびる」。斯くして”甘美な意味を持ってつながっている”ことを知り、その物語を眺め続けた窓に板を釘打ちする12章によって「輪は閉じられる」。たしかに聖書やら「救世主なのか?それとも?」みたいな話だけど、通俗的に捉えてみれば、酒と金と女の股座にいそいそしい村人たちがカリスマ詐欺師に騙される7時間18分。ほんに飽きることなく見続けられたのだから面白かったとは思うのだけれども、然らばどこが面白かったのかを問われると答えに困ってしまうので、やはり7時間18分の映画を見たという事実を面白がっている気がした。猫の虐待シーンで帰ろうかなとは思った。
kozo

kozoの感想・評価

5.0
両隣がたまにふふ、ハハハと笑っていたりしたが、僕は一切笑えなかった。
zzyy

zzyyの感想・評価

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ネタバレをします。意図があるのでネタバレ機能は使いません。

少女が猫を虐待死させるシーンがあります。
そこで、この猫は本当に死にます。
虐待も長時間に渡り、猫は腕を掴まれていますが、噛み付きもしません。脚でも反抗出来るはずですが、恐らく訓練(という名の虐待)をされており、噛み付きもしませんし、脚でも反抗しません。
その後、毒入りのミルクを頭、身体を押さえつけられ、無理矢理飲ませられ、死に至ります。
このシーン、何分間、あったのでしょうか。かなりの長時間です。
猫はヴーと唸り、猫の生態を知っている人なら誰もが分かるほど、嫌がり苦しんでいます。

上映後、訳の分からない事を馬鹿な監督が言っていました。「少女と猫は、撮影までに練習みたいなことを何度も繰り返したから、ゲームみたいなものだったよ。あの(虐待の後は)後は、注射をしたから平気だったよ。」
公の場で、死んだよとは言えなかったからか、
はぐらかしたのもしれませんが、猫は死んでいます。
「一回きりしか撮れなかったから」こう、老いた頭の固い馬鹿な監督は言っていました。

生死問わず、明らかな虐待です。
何故、本作のこのシーンを撮るにあたり、誰1人、抵抗しなかったのでしょうか。少女も、撮影陣も。おかしいと思わなかったのでしょうか。誰か疑問を抱いた人はいるのでしょうか。
力関係、支配の構図を作りたいのなら、それこそ、人間の少女より幼い子供でも良かったでしょう。それを簡単に殺めることの出来る、猫を何故選んだのですか。簡単に虐待出来る猫を何故、選んだのですか。
弟か、妹、ではいけなかった理由は何ですか。

本作の猫虐待死シーンを観て、このシーンがありながらも、評価をくだし、良いと言っている批評家や観客の倫理観、おかしいと思います。
猫が貴方の家族なら?もしこれが幼児だったら?
尊い一つの命です。人間と同じ命です。
「生きてるのなら、良かった」では無いです。
明らかな虐待がそこでは長時間に渡り行われているのです。
この様な作品が存在し、現在まで公開されている事がおかしいと思います。
製作過程で、このシーンを撮ることに反対した人は誰かいなかったのでしょうか。

現代では、クレジットで出ますよね、
「動物を傷つけてはいません」と。
それが分からない監督です。自分の作品は他とは違う、と何度も言っていた、驕った人間です。

私も、自分を馬鹿で無知で愚かな人間だと思い、後悔しています。
長時間の映画がある、何だかよく分からないけど、監督も来るし、行ってみよう。と好奇心だけでよく調べもせず観に行ってしまった愚かな人間。チケット代、ティーチイン含め、9時間弱、
それらを猫含め動物を救う行動に充てれば良かったと思います。そして、本作を鑑賞するという事は、本作の猫虐待に加担する事と同じ事だと思います。

今後、この作品が上映されないことを願います。
一匹の尊い猫の命が奪われる作品です。
虐待が行われる作品です。
死んで無いからいい、という問題でも決してありません。
そこでは確実に虐待が行われています。
許されることではありません。
人間のエンタメの為に虐待してもいい、奪ってもいい命など一つもありません。
タル・ベーラ監督、あの少女、貴方達の様な愚かな人間が猫を虐待し、尊い命を奪った事、私は決して忘れません。
しゅん

しゅんの感想・評価

3.8
思ったより「普通」の映画だったというのが第一印象。特段奇をてらってるわけでもないし、話の筋が読めないわけでもない。長回しにしたってタル・ベーラの前に幾人かの巨匠(ミゾグチとかミゾグチとかミゾグチとか)もいるわけだし、ワンカットの長さならおそらく『ニーチェの馬』の方が上。撮影と編集でストーリーラインを作っていく、非常にオーソドックスな映画なのではないか。カルト的な異端ではなく、あくまで今まで綴られた映画史の後継として自らをレペゼンしている作品。
その正統性の流れにおいても、複数の俳優が正面に立ち並ぶときの構図や、横移動した時に現れる人物や物体の意外性から感じ取れるカメラ位置設定と空間設計のセンスはズバ抜けており、これ以上ないお手本のような整い方をしている。醜い世界に美しいものを見いだす力が存分に発揮されているし、出口なしの時間感覚を体感させる全体の構造も機能している。特にフタキ(セーケイ・B・ミクローシュ)が一人街へ歩き去っていくワンカットは、歩くスピードとカメラが上空移動するスピードが一致することで画面上のフタキの位置が動かないかたちになっており、逃げようとしても逃げられない悪夢のフィーリングを撮影で表現していることに大いに唸った。鈍重なドクターが座っている椅子の裏側の存在感も半端ない。

『ニーチェの馬』(ほんとは原題どおりの『トリノの馬』と言いたい)をオールタイムベストの一つに挙げてる身としては物語性の強さがタル・ベーラの映像構築の力を弱めているのではないか(カメラが静止している時の画の魅力に対して動画としての力強さが薄かったように感じる)という思いを抱いたりもしたのだが、もっと反芻しなくてはなにもわからないのでひとまずの感想はこんな感じです。11章の、イリミアーシュからくる詩的かつ粗暴な報告を書き換える警官たちのやりとりがかわいくて笑ってしまった。「「脂肪のまとわりついた醜い雌豚」はこのままでいいかな」「ダメだ。「デブ」にしとけ」「「肥満体」でいこう」とかそんな感じのやつ。書き言葉にするとただヒドいけど…
2019年322本目(劇場46本目)

バリたいぎぃ体験でした。
まず今作を見る前、当時公開してた「ニーチェの馬」を劇場で見たのですが、自分にはハマらなくて、この監督にあまり良い印象はありませんでした。なので今作を見ようか迷ったのですが、劇場に行かないと7時間18分の映画は今後見ないだろうと思い見に行きました。結果見に行って良かったです。
7時間いろんな事が起こるので、みんな何かしらハマるシーンがあるのではないでしょうか?そういった意味では万人ウケする映画だったりして。自分はダンスってのは男からしたら女の体触りたいだけというのが分かるダンスシーンがとても好きでした。嫌いなシーンもいっぱいありました。猫を殺すところとかは結構嫌な人多そう。「木靴の木」「ウィークエンド」とかでも動物殺してましたね。

3回、計1時間ぐらい寝てしまいました。退屈で寝たわけじゃありません。映像が好きじゃなくて、見たくなくて、現実逃避してたら寝てしまったり、同じ音や音楽を繰り返し聞かされて頭がおかしくなりそうで、気づいたら寝てしまってたりです。
この寝てしまったのが結構序盤だったので、ストーリーがいまいち把握できませんでした。自分が見た範囲だと『ある村は腐りきっていて、自分たちの欲に溺れていた。住人は小さい子供と醜いおじさんおばさんばかり。そして自分たち自身、腐っていることは分かっていた。そこに若く美しい男がやってきて、説教され、金を巻き上げられ、抱かれ、奴隷にさせられる』みたいな話かなと思いました。多分全然違いますね。
なんか聖書で「サタンやその部下は光に化けてみなを騙す」みたいなのがたしかあったと思うんですよ。そこら辺も関係あるのかなーなんて。分かんないですけどね。
あと、少し残念だったのが、映像的にはめっちゃ良い終わり方をするのに、その後に少しナレーションが入るのが嫌でした。
さば

さばの感想・評価

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途中でちょっと睡魔と戦っててセリフが頭に入ってなかったし、なんだかよくわかってない部分もあるけど、7時間18分あの映像美にどっぷり浸れて幸せだった。
『ニーチェの馬』が短く思える438分。
天の鐘を魂の鐘と間違えてしまった,という台詞が印象に残った。しかもその鐘は大地の底から響く。天使と悪魔は表裏一体なのかも。次の飲み会はオデコにチーズロールを乗せていこう。
上映前にスクリーンに虫が止まってて。予告編の間に「すみませ〜ん」て叫びながらスタッフが頑張って排除。思わず笑ってしまったら、冒頭シーンから「虫」が結構重要で。なるほどこれはスクリーンの虫はいない方がいいなと、余計笑ってしまった。

ストーリーは終盤に向かってどんどん形而下に走るんですが、これはちょっと意外。おかげで中盤以降は睡魔と無縁に見物できましたが。

7時間超えの尺ですが、とにかくタル・ベーラさんはカメラを止めない。失語症で「カット」という言葉が出なかったのかしらと思うくらい。だから役者さんはいつまでたっても芝居をやめられずに、本当に大変そうだった。どうだろう、普通にカットがかかるだろうタイミングから平気で1分(いや数分のシーンもあったかも)以上回すんやから。そら、上映時間長なりますわ!

文句言うとしたら、ドクターの役どころは予想できたし蜘蛛の活躍にはもっと期待したんだけど、でも全体的には間違いなく好きな映画。

ところで、雨、雨、雨で、G・マルケスを連想してしまったのはズレてるんでしょうか?

10月は京都出町座とルーメンギャラリーで小田香さん特集があるんですが、本日『サタンタンゴ』で禊を済ませましたので、心置きなく楽しめそうです。
あらゆる物事には前後があるから、これくらいの長さになるんですってことだと解釈した。
ずっと見てるとまるでそこにいるような気になってくる。
尾骶骨痛い。
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