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サタンタンゴのzzyyのネタバレレビュー・内容・結末

サタンタンゴ(1994年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

少女が猫を虐待死させるシーンがあります。
虐待も長時間に渡り、猫は腕を掴まれていますが、噛み付きもしません。脚でも反抗出来るはずですが、恐らく訓練(という名の虐待)をされており、噛み付きもしませんし、脚でも反抗しません。
その後、毒入りのミルクを頭、身体を押さえつけられ、無理矢理飲ませられ、死に至ります。
このシーン、何分間、あったのでしょうか。かなりの長時間です。
猫はヴーと唸り、猫の生態を知っている人なら誰もが分かるほど、嫌がり苦しんでいます。

上映後、訳の分からない事を馬鹿な監督が言っていました。「少女と猫は、撮影までに練習みたいなことを何度も繰り返したから、ゲームみたいなものだったよ。あの(虐待の後は)後は、注射をしたから平気だったよ。」
こう、老いた頭の固い馬鹿な監督は言っていました。

生死問わず、明らかな虐待です。
何故、本作のこのシーンを撮るにあたり、誰1人、抵抗しなかったのでしょうか。少女も、撮影陣も。おかしいと思わなかったのでしょうか。誰か疑問を抱いた人はいるのでしょうか。
力関係、支配の構図を作りたいのなら、それこそ、人間の少女より幼い子供でも良かったでしょう。それを簡単に殺めることの出来る、猫を何故選んだのですか。簡単に虐待出来る猫を何故、選んだのですか。
弟か、妹、ではいけなかった理由は何ですか。

本作の猫虐待死シーンを観て、このシーンがありながらも、評価をくだし、良いと言っている批評家や観客の倫理観、おかしいと思います。
猫が貴方の家族なら?もしこれが幼児だったら?
尊い一つの命です。人間と同じ命です。
「生きてるのなら、良かった」では無いです。
明らかな虐待がそこでは長時間に渡り行われているのです。
この様な作品が存在し、現在まで公開されている事がおかしいと思います。
製作過程で、このシーンを撮ることに反対した人は誰かいなかったのでしょうか。

現代では、クレジットで出ますよね、
「動物を傷つけてはいません」と。
それが分からない監督です。自分の作品は他とは違う、と何度も言っていた、驕った人間です。

私も、自分を馬鹿で無知で愚かな人間だと思い、後悔しています。
長時間の映画がある、何だかよく分からないけど、監督も来るし、行ってみよう。と好奇心だけでよく調べもせず観に行ってしまった愚かな人間。チケット代、ティーチイン含め、9時間弱、
それらを猫含め動物を救う行動に充てれば良かったと思います。そして、本作を鑑賞するという事は、本作の猫虐待に加担する事と同じ事だと思います。

今後、この作品が上映されないことを願います。
一匹の尊い猫の命が奪われる作品です。
虐待が行われる作品です。
死んで無いからいい、という問題でも決してありません。
そこでは確実に虐待が行われています。
許されることではありません。
人間のエンタメの為に虐待してもいい、奪ってもいい命など一つもありません。
タル・ベーラ監督、あの少女、貴方達の様な愚かな人間が猫を虐待し、尊い命を奪った事、私は決して忘れません。
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