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ノスタルジアのtsuraのレビュー・感想・評価

ノスタルジア(1983年製作の映画)
4.3
初のタルコフスキー作品。

不思議な力を備えた映画であった。
寓話的でありながら神々しさすら感じる神話の様な出で立ちで、しかし同時に退廃的な穢れも感じたり。

映像の詩人たるアンドレイ・タルコフスキーはいずれの作品も非常に評価が高いが一般の映画ファンには難解且つ面白くない、というのをよく見聞する。

たしかに、実にワンカットワンカットが長撮りで詩的なのだが…普通に鑑賞していたら間違いなく安眠の道を辿る。
しかしこの映像の持つ魔力と言うべきか普遍性の味を知るとその狂気的な迄の美しさに感嘆するのではないか。
かく言う自分も前半は非常に睡魔などと戦ったがいつしかその世界観に見惚れてさえいた。

色調は自然の色に沿っていて炎や水は勿論だが霧や閑散とした街並などは積み上げられた石段の様にペイルトーンで調整されている。
映画自体はドミナント・トーンで統一された映像。



作曲家パーヴェル・サスノフスキーの取材を通して描かれる主人公アンドレイの旅路はそのうち彼自身の死生観と対峙しながら命の価値・意味を問う構成となっている。

彼が終わりに近づく旅先で出会うドメニコとの邂逅。
これが作品を最後まで支配する。
世界の終末が信じた彼は家族を7年間も幽閉する。そんな狂人にある種のシンパシーを感じたアンドレイはドメニコとの会話の中でドメニコは、自分が果たせなかった願いを託す。
出会った湯治場の広場を蝋燭の炎を消さず渡りきれば世界が救済されるというのだ。

この後彼はいくつかの紆余曲折を経たのち、命の終着を感じ取った彼は果たせぬ願いに挑む。

蝋燭の炎が消えない様に渡るラストは自分の精神世界の救済であり、冥界への旅立ちを示唆している様だ。
しかし渡りきった時に失せなかったその蝋燭の灯が消えなかった事が意味するのは世界の救済なのか。
この部分の意味や価値は非常にセンシティブだった。
逆に言うとそのセンシティブなニュアンスをもう少し捉える事が出来る自分になったのならもう一度この作品を鑑賞したい。

作品を通して感じたのは監督自身の問いかけや訴えが大きく反映されているところだ。

展開を見るにまるでタルコフスキー自身から発せられたシュプレヒコールみたいだった。
監督自身はこの作品後帰国を拒否してる。
彼自身も人生の終焉をこの作品を通して見たのではないか?
またストーリーの出発点からしてソ連という体制を皮肉にしている気がする。(奴隷になるとわかりながら帰国し自殺)
幽閉したドメニコにもその色が濃く映る。

何よりも印象的だったのは旅を同行していたエウジェニアとの最初の方でのやり取り。

詩集をイタリア語訳で読んでいると"アピール"したエウジェニアに対し、アンドレイは「詩は翻択できるものではない、すべての芸術もだ」と突き返す。
それに対して理解しあえる方法を問う彼女に、アンドレイは「国境をなくせばいい」と。

これこそ彼の夢みていたことではないか。

作品に対して、周囲に抱いて欲しかった気持ちなのではなかったのではないのだろうか。(内情色々はあるだろうが)

本当に作品が皆にとって理解されているのかという表裏。
私はこの監督のひととなりを知らないが、それでも監督の苦悩の色が垣間見える瞬間である。

冒頭と繰り返す事になるが、映画は非常に難解であった。
(特に1+1=1とか!→インド数学の心理とか関係してたりする?)

しかし作品の持つ希望と哀しみのアンサンブルはいつまでも語られる価値のあるものが宿っていた。

余談だがドメニコ視点で描いた歌を見つけた。
和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」
そう思ったのは私だけか笑
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