せびたん

白痴のせびたんのレビュー・感想・評価

白痴(1951年製作の映画)
3.0
原節子と三船敏郎と森雅之を同じ映画で観れるなんて。しかも原作が「白痴」だなんて。それだけで満足なのに久我美子さんがめちゃかわいいっていう。

そういう《なんなんだこの時代の日本の役者さんたちはっ!すごすぎる!》という作品。

原作小説はこんな話。
てんかん性痴呆症であり同時に極めて純粋な人柄のムイシュキン公爵は、心ない人からバカ(白痴)と呼ばれるが、彼は人の本質をひと目で見抜く力を持っていて、そのキレ味で一部の人達を魅了する不思議な人物。
彼はふとしたことから性格破綻者でならず者な資産家の子息ロゴージンと知り合う。そしてその直後、ムイシュキンはロゴージンが惚れてる女性にひと目惚れしてしまう。地域の名士の妾だったナスターシャだ。
ナスターシャはムイシュキンの純粋さに打たれて彼を好きになるけれど自分はムイシュキンにふさわしくないと考えロゴージンを選ぶ。かと思えばムイシュキンの元に戻ってくる。
3人がそんなことを繰り返すうち、情熱を秘めた令嬢アグラーヤもムイシュキンの純粋さに打たれてムイシュキンを好きになる。それを知ったナスターシャは、ムイシュキンとナスターシャを結婚させようとするが…。

ロゴージンとムイシュキンが意外と仲がいいというのがおもしろいところのひとつです。ロゴージンがナスターシャを殺し、ムイシュキンと共にナスターシャの死体と一緒に暮らし始めるという衝撃的な結末を迎える小説です。

キャストはこんな感じでした。
邦画史上知的なクズを演じさせたら右に出る者がいない私のヒーロー森雅之さんがまさかのムイシュキン。クズっぽい言動はいっさいなく、チャップリンぽい動作でちょいちょい笑わせてくれました。
本作での役名は亀田欣司(カメダ・キンジ)。ムイシュキンの「キン」が入ってるっ!

ナスターシャは原節子だったけど京マチ子のほうが私の中ではイメージ合ってたかな。役名は那須妙子(ナス・タエコ)…。苦しいけどがんばった感いっぱいの役名。
それにしても原節子の顔を見て吹き出す日がきてしまうとは思いもしなかった2018年秋。まさかの顔芸。原節子の顔芸…。
これだけでも本作を観た価値があったかも。けどやっぱこの役は京マチ子だったんでは…。

アグラーヤは久我美子さん。めちゃかわいい(2回目)。役名は綾子。アグラアヤ、だからアヤコなのだろう。かわいすぎてめまいがしました。

そして三船敏郎がロゴージンなので、性格破綻者というより無骨で粗野な中にお人好し感が出てるのだけど、それはそれでありな解釈だと思いました。むしろそれこそがロゴージンなのかも。
役名は赤間伝吉(アカマ・デンキチ)。けっこう長いこと考えたけどパルヒョン・セミョーノヴィチ・ロゴージンとのつながりは不明。甚平(ジンベイ)とか甚五郎(ジンゴロー)ではダメだったのか?

他には「東京物語」のお母さん役で有名な東山千栄子さんが印象深かったです。

松竹といろいろあった結果、黒澤監督にしては珍しい失敗作になったと聞いてましたが普通に観れました。
黒澤監督の映画はヨーロッパやアメリカの映画と共鳴し合っていてカッコいいっすね。

そして昔の邦画と今の邦画はなぜこんなにも違うのかといういつもの疑問。歴史はどこで断絶したんだろう。なんてね。



《レビューはここまで。以下はドストエフスキーについての私の思い出ww》



10代の頃「白痴」を読んだときは衝撃でした。ドストエフスキーにハマりました。当時の私にはドストエフスキーは完璧にホラーであり、同時に上質なメロドラマでもありました。闇の深い人物や純粋すぎる人物が入り乱れ、時にはその相反する要素がひとりの人物の中に現れ、読者の魂にどーんって突っ込んでくる感じなんすよ。まさにホラーです。

これの前に読んだ「罪と罰」では貧乏大学生ラスコリーリニコフが、最愛の妹ドーニャの金策結婚(ラスコーリニコフの学費を捻出するため好きでもないヤな感じの金持ちと結婚する)を阻止するため、金目当てに守銭奴な金満婆さんを斧で叩き殺すんですよ。そこをリアルに描写するんです。ぷるぷる震えましたね。10代だったから。

その後ラスコーリニコフは罪の意識から発熱に苦しみ、その状態で彼を怪しむ刑事や仲間を相手に不気味な討論を繰り広げながら、親友やドーニャ(このふたりはやがてくっつく)に心配されながら、最後は娼婦ソーニャ(だったかな)に女神を感じて救われるとか。B級映画のあらすじかっ!(笑)
いやいや不朽の名作と言われる小説なんですが。
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