垂直落下式サミング

WOOD JOB!(ウッジョブ)神去なあなあ日常の垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

5.0
染谷将太が、ちゃらんぽらんな都会育ちの若者を演じている田舎コメディ。本作は、この意志薄弱でお調子者のバカが、何かの間違いで超重労働の林業に従事することとなり、周囲の人間と通じながら自己を獲得していく青春物語となっている。
まず何より、魅力的な役者たち。伊藤英明の肉体系ベストアクトによる野性のほとばしりが眩しい。気の強い長澤まさみは女を持て余した焦燥と郷土愛との板挟み具合が妙に色っぽくていじらしいし、優香のさばさば人妻っぷりもエロいし、光石研の社長も狭いコミュニティのなかでの顔役的な位置付けに説得力のある風格だし、マキタスポーツら林業従事者たちの面々もずっと昔からそこにいるかのようなユーズド感が小汚なくていい。
あと、子供たちがとても可愛くていいですね。癒される。都会のアスファルトジャングルのなかで登下校していようと、総人口数千人にも満たないような集落で鳥のさえずりとともに育とうとも、同じようにちゃんとクソガキに育つのだ。やはり子供とは社会の宝である。
台詞では、中村林業の親方の言葉がグッときた。林業は、自分達の仕事の結果が出るのは死んだ後、早くても百年後。今切り倒した木は数百年前の祖先が植えたもので、今植えた木を切り倒すのは数百年後の自分達の子孫、山と技術は永い年月をかけて受け継がれていくものだという。世代が移り変わって、風景が変わっても、変わらず存在し続ける物事の本質を突かれたようでハッとさせられた。
バトンを受け取ったものは、それを次の走者に繋げなければ。それは、先代によって義務付けられた使命感によって人生は豊かさを増すというもの。いまの自分の行動とその評価によってこそ、そこに責任が生じると思い込んでいる現代人の感覚からすれば受け入れがたいような価値観を、本作ではあくまで軽く当たり前に描写することで魅力的にみせてしまう。
変化のない日々も、受け入れてしまえば案外楽しいかもしれない。集団意識が強いコミュニティに属するということは、同一化を受け入れること。そして、安住の場所として地域に根をおろすこと。ある種の体育会系通過儀礼。
糞田舎のネガティブ面を透明化せずによくみているところが、凡百の生ぬるいおらが田舎いいトコロだんべ系とは違う。ホントのことを言い過ぎるのも嫌われるだろうが、ちゃんとコメディに仕上げているのはさすがだ。矢口史靖監督の最高傑作だと思う。
ところでだ。私もクソ山奥のクソ田舎出身。ちょっと思うところがある。本当は、「村」なんかではなくて、せめて「町」と呼べる場所に生まれたかった。僕らは、地元が好きだけど好きじゃない。親や友達がいなかったら帰らないし、特産品とかも別にである。でも、好きってことにしとかないとやってられない。
地元に残る選択をした長澤まさみが、意固地になって郷土愛を手放さない気持ちもわかるけど、わかった上で電波の繋がらない場所には帰りたくないから、居場所はなくても都会にさまよっている。
最寄りのコンビニまで車で15分、最寄駅まで30分、大型スーパーまで1時間、最近できたイオンモールまでは2時間弱。車は四駆しかあり得ないし、電波がギリ入るケータイ会社はドコモだけ、小学校も全校生徒30人を下回ってついに複式学級へ、エレベーターのある建物はそこそこの年齢になるまでみたことがなかった。
町場の学校ならば林間合宿という催しがあるらしいが、僕らは逆に学校行事ではじめて改札機の通りかたを知ったのだ。そんなド田舎の同志たちへ、今ではシティ派急先鋒なこの俺様が、この言葉を贈ります。


「小枝を踏み折れば、骨を折ってあがないとする」
―ラノワールのエルフの、侵入者への処罰