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アデル、ブルーは熱い色のくりふのレビュー・感想・評価

アデル、ブルーは熱い色(2013年製作の映画)
4.5
【熱い色を消さないために】

やっとみました。劇場の大きく鮮明な画面でみて正解。人物アップばかりの距離感でこそ伝わる感情に共振。こんな大アップで盛大に鼻水垂らす女優って初めて見た気もするけど。

挑戦的しかし狙いは明快、即興にみえても脇は固め完成度高いと思う。こんな作品に出合うと、フランス映画はまだリュック・ベッソンに殺されたわけじゃない、とホッとしますね。

まず「ブルーは熱い色」というメタファで一番感心し、謎でもあったのは、レア・セドゥ演じるエマの髪の色。象徴的に撮られすごく鮮やかで、彼女に熱くなるアデルの心の鏡でもありましたが、この色が突然…なんですよね。

で、アデルもエマも、映画としても、その変化に全く触れない。しかしこの頃から、二人の愛は変化し、物語は停滞を始める(個人的にはこの辺り不満でしたが)…。

この突然…しかしその後語らない…という矜持。巧い。観客の想像力を信頼しての演出だと思いました。

本作のブルーは画面のアクセントに留まらず、例えば初めと終わりのアデルの後ろ姿を対置させ、アデルは「熱い色」を自分で纏えるまでは変化した、という心理描写にも使っています。私はあまり気づけませんでしたが、こうした配慮はたくさんあるんじゃないかな。完成度が高いと思う所以です。

が「ブルーは熱い色」って、原作バンド・デシネでは原題ですが、映画では『La vie d''Adele-Chapitres 1 et 2』と名付けていて、アデルの人生、一章と二章、という意味なんですよね。本作は惚れた腫れたの恋愛話に留まらず、人生で普遍的に大切なものについて、後からじわじわ実感してしまう作りになっていると思う。

例えば、一時の過ちから「熱い色」…取り返しのつかないものを失うアデルの姿は、振り返れば誰もが思い当たることがあるんじゃないでしょうか。小さな「熱い色」を宝物のように描き、とても大きなことを語る映画じゃないかと実感しました。

単純に、アデルとエマを勝ち/負け組として描いていないんですよね。アデルの喪失は大変なものでしたが、その体験がかけがいのない大切なものであったことも描かれています。彼女は自殺なんてバカなまねはしないでしょう。

聖林的ハッピーエンドなんて用意せずとも、映画でこのように人生を讃えることはまだまだできるんだ、と嬉しくなりました。ちゃんとこの後に三章が続くわけだしね。

アデル役のアデルがいいですねー。演技歴はそれなりにあるのに素人にしか見えない。佇まいが無防備なんですよね。特に口元。私はフロイト信者ではありませんが、彼女には口唇期の段階を未だ引きずっているような幼さを感じます。

何というか、中身は繊細なのにデバイスが未熟な感じ? キスで「自分の」愛情が本物か確認しようとして、それでもわからずセックスしてみるみたいな。この辺りの戸惑いはとてもよく描かれていたと思います。

レア・セドゥのエマは、予告編ではスカした女だなー、と反発したものの、こうしてアデルの視点でみると…いや、わかるわかる、惚れますよ(笑)。ちょっと彼女に、乱暴にされてみたいわ(爆笑)。しかしレアの役者力に、こんなに感心したのも初めてです。

ラブシーンはさほど感心しませんでした。やっぱり実際セックスすることよりも妙な力が入っちゃってると思う。どこか不自然。口唇期つながりだと、セックスって赤ちゃんに戻るようなところがいいわけですから(…と思う)。

ポルノが本番AVに駆逐された理由が改めて分かった気もします。基本演出が顔のアップなのだから、セックスも顔中心で行ってよかったんじゃないかなぁ。…観客の想像力を刺激して、より扇情的になっちゃうとは思うけど(笑)。

でもレアちゃんの全身、アレコレが堪能できウフフでしたけど。

…その他、得るものたくさんありました。まとまらないのでこの辺りで終わりますが、機会あれば、また違う視点からみてみたい、と思わせる奥深い作品でありました。

<2014.7.29記>
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