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大統領の執事の涙のくりふのレビュー・感想・評価

大統領の執事の涙(2013年製作の映画)
4.0
【そして黒い手は白い手袋を外す】

前作『ペーパーボーイ』でこの監督独特の「見据え方」に気づき、本作にもそれを期待しましたが健在でうれしかった。露骨ではないが誤魔化さないフラットな視線。例えば冒頭、殺された黒人の顔、その無念をきちんと見せている。

アメリカで本作は黒人版『フォレスト・ガンプ』とも評されたようですが(←異議あり!)、ゼメキスなら死体の顔なんてまず隠すでしょうね。

マライア・キャリーに違和感大だったこと、青年セシルからフォレスト・ウィテカーに変わるとあまりに別人でズッコケたこと、物語の締め方が…難しいところだけど…流されるように弱かったこと、あたりがとりあえず不満。

それ以外は、ある家族を通した激動の回顧録としてとても面白く、学びも多かった。

史実に関しては、パンフの越智道雄さんのコラムが参考になりました。セシルの長男の人生があまりに出来過ぎと思ったら、やっぱり創作なんですね。実際は次男もいなかったそうですが、このようなギリギリの対立関係を創り、その狭間で苦悩する妻であり母・グロリアを配置する妙、これお見事です。

百年くらい後で本作を振り返ったら、戦後の黒人受難物語として神話のように映るんじゃないか…大げさだけど(笑)。

主の気分で殺されてしまう環境で育ったセシルは、まず要サバイバルだったわけですが、それが執事という、白人の中で仮面・鎧を付ける仕事で幸運にも生かされていくんですね。

そしてハウス・ニガーからホワイトハウス・ニガーにみるみる「出世」するわけですが、それでよかったのか…というまずの提起。

そこに、権利がなければ生きている意味がない、と考える長男がぶつかってくる。本作の、物語としての肝はこの辺りでしょう。

これ理屈ぽいけど、マズローの自己実現理論なんかにも当てはまりますね。また、黒人の権利獲得のためには(最低)2世代の時が必要だったということ…。

しかし執事セシルは単に、白人にへつらっていたわけではないんですよね。ひたすら働き、労働条件を上げることがあることにつながる…となる構成の妙も、地味だけれど見逃せない。キング師はちゃんと見抜いていましたが。

歴代大統領関連で強烈だったのは、ジャッキー・ケネディの「血染めシャネル」。暗殺を直越見せるより尾を引きました。もっと「見据え」てもよかったくらい。彼女その時、狂乱して飛び散った脳をかき集めたそうですからね。

一方、アラン・リックマンのレーガンクリソツぶりが可笑しかったですが、体躯が違うからパチモンぽく見えちゃった(笑)。

で、パチモン感皆無のジェーン・フォンダ演じるレーガン夫人の好意が偶然にも、セシルが世界を反対側から見る機会につながるわけですが、ある意味硬直した視線しか持てなかった彼には目からウロコだったことでしょう。

こんなところにも、単純に白人vs黒人という対立構造では割り切れぬものが潜んでいて、本作のちょっとした深さだと思うのです。

そんなこんなで、得るものがとても多かったです。感心断片はまだ色々あるのですが、まとまらないのでこのへんにしておきます。

<2014.4.30記>
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