【燃焼系マコノ式】
とにかく役者陣の魅力!
まずぶっちぎりマコノヒー。生きんとしたモデルのロン・ウッドルーフ氏とは逆に、命を絞った体型絞り(力石徹か!)の結果、かえって命の生々しさを突きつけてしまう皮肉な凄み。
ジャレッド・レトの「常にストッキングが伝線している美しさ」も、ジェニファー・ガーナーの初めてみた優しきふくよかさも、とてもよかったです。
が、役者の有り様で突っ走った感が強く、終わってみると映画の塊としては意外と心に残っていません。
こうした想い先行の作りだと機を逃したのでは?という気がしてしまう。当時のレーガン“エイズ見ぬふり”政権への爆弾であったなら…と考えてしまうのです。いま扱うなら少し冷静に引いて、状況を俯瞰してもよかったと思います。…ないものねだりでしょうけれど。
また個人的感覚ですが、太く短いロウソクの炎を自らぶうと吹き一気に燃やし尽くす生き様が、このようなフィクションとして見せられると思ったよりあっけない。
実際のロン氏には、もっともがき、あがき、見てられないことが多々あったことでしょう。それをより共有させて欲しかった。
ダラス・バイヤーズクラブで買えるのは時間であり、命は決して買えない。その厳しさをもっと立てられたんじゃないか。そこから政府の対処がいかに大切か…ということへの逆照射にもつながったと思う。
その他、幾つか気になる点はありました。み応えは充分あるものの、映画の狙いとしてはちょっと暈けたかな…という総体感でした。
そんな中でも、暴れ牛のあの瞬間で幕を閉じたことは冷静だと思った。着地できる「物語」ではないですし。まだエイズの脅威が消えたわけでもないですし。
暴れ牛の手懐けを、あとは継いでくれ…というロン氏らしいメッセージだったのかもしれない。これはエイズに限ったことではないでしょうが。
しかし、人間は痛い目みないと気づかないことがホントに多い、と改めて思いましたね。ロン氏だって例えば、ああいう目に遭わなければゲイ差別を一生続けたんじゃないでしょうか。
ロック・ハドソンの事件から語り出すところは巧いと思った。彼の出演作を間違えるんですよね。エイズへの認識は当時そんなものだった…というリアルが何気なく込められていると感じました。
<2014.4.28記>