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そこのみにて光輝くのbのネタバレレビュー・内容・結末

そこのみにて光輝く(2013年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

ある出来事をきっかけに仕事を辞め自堕落な日々を過ごす達夫(綾野剛)
そんな彼はある日パチンコ屋でライターを貸した事により知り合った拓児とその家族と親しくなっていく。

拓児の一家は生活が困窮していて言わゆる底辺の家庭であった。
【拓児の一家の家族構成↓】
拓児(菅田将暉) 前科持ち 仮釈放中
その姉の千夏(池脇千鶴)家計を支えるためイカの加工の仕事をする傍ら売春をしている。母親は働かずパチンコざんまい。しかし、それは父親(夫)が脳梗塞で寝たきりの状況でしかも性欲が異常に強くなってしまっていて、性処理やその介護をするため。ちなみに性処理はちゃんとセックスしてたけど、これ手コキ又はTENGA じゃだめなのかなぁ....(笑)

そしてそこに高橋和也演じる中島(クズ)が関わってくる。この中島が「おーい磯野~野球しようぜぇ~」の中島ならどれだけ良かった事か。

そんな現実は、もがいても、もがいても、どうしょうもなくまとわりついて来て、抜け出したくても抜け出せない。

ラストは
そこに部外者として存在した剛ちゃんの存在がひょっとしたら千夏にとって唯一の救いなのかもなぁと思わせて、そしてタイトルバック「そこのみにて光輝く」が出て来るという綺麗なラストでした。もちろん剛ちゃんにとってもそれは同じで、お互いがお互いの拠り所で「そこのみにて光輝ける」場所だったのだろう。

夕焼けをバッグに文字通り光輝いて見えるという、言葉ではなく映像で見せていて本当に素晴らしいの一言に尽きるシーン。映像的にも美しかった。


とりあえず演技と脚本の自然さと、それに伴う人物の圧倒的な実在感が物語をより深い又は不快(誉めてる)な物にしていて良かった。ちなみには不快さ加減は高橋和也がほとんど一人で背負ってましたな(笑)

中々書ききれないことが多いがとりあえず誉めはここまで。高橋和也の事とかすげえ書きたいけど。
こっからは少しだけ苦言というか傑作には間違いないけど、自分には合わなかった理由を書き込みますが、あくまでも極端な境遇の人間の戯れ言なので普通になんの参考にもならない文章です。なので読まなくて大丈夫です。
























僕がこの映画を観て没入しきれなかった大きな理由は2つある。それは、正直どのキャラも共感は出来ても、あんまり感情移入出来なかったし、ストーリーももう少しビターな方が個人的には好みだから。そしてどちらの不満にも同じ理由があってそれは「どん底」と言うにはあまりにも生温く感じてしまったからだ。

僕の目には、彼らは皆自分の境遇に言い訳して、自分からその場所から抜けださずにいるように見えてしまった。

まず拓児は馬鹿で短気でどうしょうもないヤツなのは分かるが、カッとなって人に危害を加えるのは明らかにお前が悪い。境遇のせいにするな。それはお前の選択の結果そうなったんだろ?それをせずに生きることは出来たはず。
まぁ良いヤツなんですが。

次に千鶴彼女は仕方なく売春をしているらしいが、真面目な事務かなんかの仕事を1ヶ月で合わないといって辞めてしまっている。今の彼女を見ても自分で選んでそうなってるのでは?としか思えない。
まぁいいオッパイなんですが。

父親の件は確かに中々難しい問題だがまず母親がパチンコする暇があるならパートをして、拓児は山で働いて千鶴はまともな職につく。そうすれば介護施設に入れられるのでは?もちろん生半可な覚悟では難しいと思うし、中々大変だと思う。しかし、彼らにはそれが出来る選択肢はあったはずだ。それを不可能にしたのは結局自分達の選択の結果だと思った。


選択肢がある以上この人達はまだまだ幸せだと思ってしまったし、完全に選択肢を奪われてしまうことが本当の不幸でありどん底だと思う。なので申し訳ないが、彼らにはどん底と言うには余裕があるように見えた。
そして、「死」と言う一文字が常に頭に過る様になってからが、本当のどん底の始まりだと思う。そこまで行けば自分も感情移入出来たはず。

何度も書くが傑作と言って申し分ない作品だとは思う。しかし、自分にとってどん底なんてこんなんもじゃねぇと言う思いがアンビバレントに存在してしまっている。そこが決定的に没入を疎外してしまった。


《メモ》
韓国映画はシビアでビターな映画が多いらしいので韓国映画を観よう

まずは
・シークレットサンシャイン
・オールドボーイ
・殺人の追憶
・母なる証明
・息も出来ない
・ポエトリー
・オアシス
・復讐者に憐れみを
・アジョシ
この辺りかな
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