Torichock

ファインディング・ドリーのTorichockのレビュー・感想・評価

ファインディング・ドリー(2016年製作の映画)
3.7
「Finding Dory/ファインディング・ドリー」

TEDと言われるカンファレンスがあって、著名人や文化人の方がプレゼンをする番組?みたいなものが、僕も住んでた町・カナダのバンクーバーにあるんです。

J・J・エイブラムスのやつをちょろっと観てから、たまーにみたりするんですけど、その中にステラ・ヤングというコメディアン兼ジャーナリストの記事があって、それがすごく興味深かったんです。
骨形成不全症の障害を持つ彼女がプレゼンした内容は

"わたしたち障害者は、「感動ポルノ」として、健常者から消費されている。わたしたちはあなた方を感動させるためにいるわけじゃない"

というテーマを中心に語られていました。

・わたしたちは、わたし達をみて、"もっと大変な人がいるんだ!勇気を出さないと!"とか思われるためにいるんじゃない。
・ただ生きてるだけなんだから、感動的なスピーチなんか出来ないし、何も達成していないのに賞をもらう理由もない。
・わたしたちに程度の低いことを期待されるような世界ではなく、特別な措置も特に驚かれるようなことがない、障害=例外ではない世界こそに生きていたい。

氏は、一昨年の12月に亡くなりましたが、この作品の感想を書くにあたって、書き起こしを読み直しました。

生まれつき片方のヒレが小さいニモ。
病的なまですぐに物を忘れてしまうドリー。
視力が非常に弱いジンベイザメのデスティニー。
エコロケーション能力を使えなくなったと思い込んでる白イルカのベイリー。
足が7本で、海に返されるのが怖いタコのハンク。
奇形ななりをした鳥のベッキー。
そして、1匹をハブにするアシカの3匹組。

デリケートな話だけど、ここは濁さずに書くけれど、登場するキャラはみな、障害を持って生きています。

だけど、この映画が素晴らしいところって、その障害というものに対する考え方が深いというか、それこそステラ・ヤング氏の言葉を借りるのならば、

"障害があるのに偉い!"

みたいな、わかりやすいところ、いわば"感動ポルノ"に落とし込んでないところが、やっぱりすごいと思いました。
それぞれが、お互いの欠点と長所をカバーし補い合いながら、そして、本人たちもそれぞれの欠点を自ら乗り越え、ブレイクスルーして、目的に進んでいくお話。

この作品内で描かれる大切なポイントに、その障害を重きを置いていないところも本当に誠実さを感じました。

もちろん、それぞれのかかえる障害に対して、"一人では生きていけない"という視点があったけども、それは例えば健常者である僕にも言えることだし、何よりも自分を受け入れることが何よりも大切に描かれているとおもいました。ベタではあるけど、チームワークものとして、あいつら愛おしくてカッコよかった!と思えるシーンがたくさんありました。

何より、この作品の涙腺堤防決壊ポイントが、障害と関係ないところが素敵でした。

実家に帰ろうとしたけど、家が無くっていた。
だけど両親がもし、自分にだけ分かる、小さい頃の大切な思い出の道標を残してくれてたら?
そして、こっちが探していたはずなのに、目を合わせた瞬間に、先に名前を呼ばれたら?
自分の子どもの力を信じ、戻ってくることを信じてくれる親がいたら?

これは誰の心をも打つ、素晴らしいシーンだったと僕は思います。
特に、「この素晴らしき世界で」をバックに繰り広げるトラックのスローモーションのシーンは、サイッコー!にクレイジーなシーンでした。

今、このタイミングで、日本で公開されるのは、意義のあることだと思うし、と同時に皮肉だなぁも思いました。

クソみたいな話だけど、自分が思う、自分勝手な理想の世界とかを全面に押し出して、聖人面する人間や、自分の考えや自分の行動の正しさ以外に興味を見出さない、恐ろしく自分勝手で狭量な人間に溢れた世界の中で、こんな作品がまだ映画館でかかってることが唯一の救いでありながら、こういう映画に感動しながらも、その考えは全然変わらない人間がいるのが世界の恐ろしさと残酷さ。
その中で、僕たちはどう生きていくのでしょうか?

※この作品と「帰ってきたヒトラー」のレビューを書き始めようとした時に起きた、相模原の事件。
素晴らしい映画の世界と、クソッタレな現実の世界の話を混同なんかしたくなかったけど、最後の一文はどうしても心が避けられないから書かせてもらいました。
Torichock

Torichock