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愛の嵐のmitakosamaのレビュー・感想・評価

愛の嵐(1973年製作の映画)
4.2
何という崇高なエロス。女流監督ならではの視点で撮る倒錯的エロティシズムの極みのような歴史的作品だ。そういう意味ではピアノレッスンにも通じる情念みたいなのが刷り込まれている。

第二次大戦後のウィーン。ホテルの夜勤(ナイトポーター)のマックスは、戦中にナチスの親衛隊将校として戦犯である過去を隠して生活している。
そのホテルに、収容所で慰み者にしていた少女ルチアが大人になり旦那と来客し再会をする。
再会した二人は狂ったように性を貪り食い合う。男が暴力的に支配しているようで女が精神的にリードするという構造。
ナチスの残党は自分らの生存のために秘密を知るマックスとルチアを抹殺しようとし、二人は部屋に潜伏し兵糧攻めに遭う。餓えに耐えながらも最終的に部屋を出て橋の下で銃殺される。

先ずシャーロットランプリングが、細い痩せぎすな体型なことがイヤラシさに拍車を掛ける。これが肉好きの良い健康的に膨よかでグラマーな女なら今作の魅力は出なかった。スラリとしたモデル体型でお胸も大きくない彼女だからこそ、薄幸さが表現されて魅力になっている。
ダークボガードは脂ぎっていて髭も濃くて正直美しさは無い。寧ろ男性ホルモンの濃さが醜悪さを醸し出している。これがまたサディスティックに見えて能動的な雰囲気作りに貢献してるんだよな。

邦題の“愛の嵐”も秀逸だが、オリジナルの“ナイトポーター”が深い意味を持つ。
マックスはあくまで日の光が入らない夜の世界で生活するという事だ。ナチス残党がいつかまた日の目を見ようと暗躍する中で「マックスは日の光は眩しすぎる」と言う。「自分はドブネズミのように生きる」とも。
戦犯としての罪を隠して生きることに後ろめたさを持っている証拠だ。だからこそ最終的に朝日が昇る方向に向かう橋の上で死ぬのだ。

ルチアは被害者だが、自身が共犯者のような錯覚を持っている。
例の衝撃的な回想シーンだ。オペラをBGMにマックスが少女を弄るシーン。他の囚人が空虚な目で見ている中で身体を任せる退廃さ。そしてルチアは秘密の社交場に呼ばれ半裸でマリーネディートリヒを歌う。ルチアが保身の為にマックスの情婦になったことは想像に難くない。その選択が彼女に罪の意識を持たせたとは必然だ。この辺のキャラクターの持つ感情を、一切の説明なしに視聴者に想像させる演出力が凄い。
なんと言っても親衛隊の軍帽にサスペンダーのみのトップレスってビジュアルが最強過ぎる。

舞台がオーストリアな点も注目だ。戦中もナチへの加担が大きく未だにその影響力が強い国だ。
ルチアの旦那がアメリカ人な点も皮肉だ。第二次大戦において最終的には参戦したが基本的にはヨーロッパの争いを傍観していたアメリカを象徴している。
またナチ残党の中にゲイなバレエダンサーがいるのも注目。ナチスは同性愛者も徹底的に収容所送りにしていたからね。

潜伏中に空腹に襲われる二人が瓶のジャムを貪り食い、口を真っ赤に染めるのはセクシャリティの暗喩でもあるが、ジャム=血を啜り生きるという“自らの罪”を象徴していると思われる。

全てがエロく罪深い。だが危うい光を放つ美しさを纏っている。
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