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フォックスキャッチャーの都部のレビュー・感想・評価

フォックスキャッチャー(2014年製作の映画)
3.6
こうした実話を題材とした作品はどうしても表現の幅が縛られる為に監督の地力が試されがちだが、史実劇としての『完成度』という点ではかなり上出来のそれであるように思う。本作は名誉と栄光を前にして拗れた承認欲求や羨望が人を凶行に走らせるまでの道程を乾いた質感で語っており、『レスリング』というスポーツをもってしても盛り上がりとは無縁で、感情の爆発を迎えるその時までただひたすらに不穏で嫌な雰囲気が継続し続ける。

事件内容を思えばデイブこそ物語の核に位置するべきなのだろうが、『承認』を得られなかった人間としてマークとデュポンの視点を主体とすることで、より物語としてこの事態の過程を呑み込みやすくなっている部分がある──『金持ちであるのに満たされない』『金メダルを取ったのに恵まれない』、そんなある種のシンパシーが二人を不健全に結び付ける一方で、成功者である兄の介入が関係の破綻までを如何にして導くのかが克明になっている。

兄に対してコンプレックスを抱くデイヴの言動は時に共感性羞恥的であるし、身近な人間とその人間の功績に対して劣等感や執着心を覚えるのは普遍的なことだからこそ、彼の感情の爆発は何より痛々しく映るのだろう。栄光を得られなかった人間が呻き苦しみ藻掻く姿もまた普遍的なもので、私達はそんな彼の姿にいつかの自分を見るのではないだろうか。

本作でままならないのはそれぞれが求めている物はあくまで別にあり、その為の代替としてお互いを必要としていることが明示されることにある。故にデュポン氏の行動原理は『もう二度と手に入らないことを悟ったから』という点にあると描写されており、件の銃撃シーンはどことなく哀愁を帯びた虚しい物として出力されている印象で負のカタルシスとすら徹底して本作は静謐で無縁である。

全体的に閉塞感を伴った作品なのに違いはなく、その行き詰まりをスティーヴ・カレル、チャニング・テイタム、マーク・ラファロの三名の演技によるアンサンブルが演出していてその点は見事。
とはいえ彼等の感情線はかように克明であるものの、映画として起伏のバランスは取れているとは私の目から見ると言い難く、共感や賞賛を覚える点はあるが高評価とまで言えるかは首を縦に振りにくい。
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