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STAND BY ME ドラえもんの都部のレビュー・感想・評価

STAND BY ME ドラえもん(2014年製作の映画)
1.6
本作は長らくアニメシリーズを続けてきた『ドラえもん』をCGアニメ化するという意欲的な姿勢が発揮されてるにも関わらず、原作の魅力を伝える為に現代劇として再構成する努力を有り得ないほどに怠っている印象で、実写に寄せた質感のCG化による虚構性──その領分だから許せるリアリティラインまた倫理的な一線──の剥奪に対して無自覚にも程があるストーリーにはやはり胃を唱えずにはいられない。

まずドラえもんという作品の前提として『気に入らない女と結婚して不幸な人生を歩むのを回避する為に、自分の好きな幼馴染の女の子と結婚する未来を開拓するべく四苦八苦する』という昭和の価値観丸出しの粗筋があるわけだが、これは本当に連載初期の路線であって、その後のF先生の作品内の指向性の変化だったり時代に併せた映画などに見られる価値観の変化はちゃんと見られるんですよね。

そこを堂々と無視して、これがこの作品のオリジンだからとそのまま構成に組み込むのはそれは作品に対する原作愛とかではなく紛れもない怠慢で、仮にドラえもんの魅力を0から改めて伝えたいというのなら絞るべき焦点は絶対にそこではない。

たとえばのび太自身のひみつ道具に纏わる失敗を前提とした気付きと成長に焦点に合わせる、これならまだ分かる。

しかしこの映画におけるのび太の精神的成長はおよそ皆無で、成長したように見えるシークエンスは受動的な反応に過ぎないから、嫌なガキ感が増してるのは大問題ではないかという。

『こいつ、見てるだけでムカつくなあ』という所感を何より抱かせるという意味では剛田武追体験映画なんですよ。ジャイ泣きですよ。

作品の主軸がのび太によるしずかの伴侶化計画にあまりにも寄り過ぎていて、終盤に収まりの良さを優先する為だけに『帰ってきたドラえもん』を踏襲するのも安易にも程がある。だってこの映画はのび太の成長の話なんかまるでしてないし、その辺の贔屓にしてる雌の為に右往左往してる奴がドラえもんとの友情の物語の帰結点を迎えても、道具が無くなるから別れるのも嫌という理由もあるんじゃないのと嫌な邪推を誘うような物語の進行になっているのが致命的。

感動の為にそれらしいエピソードを並べて最適化されてる物語に嘘臭さを感じるのは至極当然で、原作/アニメのドラえもんですらそれらのエピソードは別れていて、湿っぽい話ばかりではないからこそ時折差し込まれる感動的な物語がグッとくるんですよ。これを1つに纏めてドラえもんのエモ巡りをしようという意図は、綺麗な部分だけを掬い取ろうという姿勢も窺えて作品をなんだと思ってるんだ。

たしかに名エピソードの数々ですけど、それを並列化して語ることで陳腐化を招いている部分が強すぎる。それらしい流れとそれらしい音楽とそれらしい台詞を重ねておけば『前後関係が雑だけど今は泣ける雰囲気が出てるから感動する!』っていうのは『馬鹿だと思われてんのか?』という観客に対する舐めへの怒りすら湧かせるそれで、多くの意味で問題作だと思います。
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