オポッサム

チョコレートドーナツのオポッサムのネタバレレビュー・内容・結末

チョコレートドーナツ(2012年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

 アラン・カミング演じるところのルディが楽屋でその表情でああ、この優しさは本当に女の人のものだなと思ったんです。この眼をできるこのひとが出ているならきっと素晴らしいものになるだろうって。でもヒゲはそろうぜ!(この見方がそもそも性差別的である)

 差別を現実として受け入れてしまうポールはたしかにこの時代においては現実主義者だ。自分が被差別対象になっていたとしてもそれを受け入れざるを得ないということはこの時代も、現代も確実にある。世界を変えられないなら自分を変えるしか無いから。でも、自分を変えられないなら?世界を変えるために戦わないとだめだ。世界と戦ったたくさんの人がいたあとにできているのが、理不尽だらけの我々がいる今。この映画と同じ問題が無いのは戦いの結果ですこういう悲しい結果のあとの…。

 差別されるものとして、差別されることが明確な子供に深い愛情を与えたいというルディの気持ちがとても理解できる一方で、差別を内面化してしまっているポールの気持ちもわかるので、やめろよ、ふたりの気持ちは根本的には同じで現れ方が違うだけなんじゃ!ってぐちゃぐちゃした気持ちになる。

 でも同時に、ダウン症児が感動ポルノの材料にされてしまっている気がして、最終的には死んでしまうのだけれど、どうしても映画の筋書きの都合で殺された気がしてしまう。障害児を養子に取ろうという人がいないというのはきっと当時でも今でも現実としてあるのはわかる。でもそれがきわめて誰もが納得できる自明な事実として描かれていて、納得しているさまを見せられるのはつらかった。それはゲイのカップルが子供に悪影響を与えるのでは?という差別感情とそこまで距離があるものとは思えないのだけれど…。いや、統計的な事実と偏見とではやはり違うか。統計的事実に基づいている発言でも差別だが、ルディもポールもダウン症児を受け入れているという事実があるのだからそこは他人がどういったところで意味があるものではないのだろう。