チョコレートドーナツのネタバレレビュー・内容・結末

チョコレートドーナツ2012年製作の映画)

Any Day Now

上映日:2014年04月19日

製作国:

上映時間:97分

4.1

あらすじ

マルコが好きだったもの。人形のアシュリー、ディスコダンス、ハッピーエンドのおとぎ話、そしてチョコレートドーナツ。マルコは僕らに家族をくれた。僕らはマルコをなにがあっても守ると約束した。僕たちは忘れない。マルコと過ごした愛しい日々。

「チョコレートドーナツ」に投稿されたネタバレ・内容・結末

ひとりぼっちで歩く最後のシーンが忘れられない。
自分が知ったつもりになってる相手のことなんていつも全体のほんのすこしなんだーー

亡くなってからじゃ遅いんだよなぁ、
最後にどうにもならない感情がこみ上げてきて、ただただ泣いてしまった…

*9
救いようのない映画といえばそうかもしれないが、生々しく、かつ優しく社会情景を描いている気がした。ジェンダートラブルや障害を持った子供に対しての社会認知、それに抗う人や、世間体を気にする人の気持ちが浮き彫りになった映画だった。社会を見つめなおすとき、この問題はどうすれば解決するのか…?ということを念頭において最後は映画を終えた。
こんなことが許されていいのか、、
ゲイだから、女装してるから、ゲイバーで働いているから、そんなものただの肩書きで誰も本当の彼らを見ようとしていない。

同性愛者は人を愛することすら許されないのか?
障害のある子供は幸せになれないのか?
誰にも誰かの幸せを奪っていい権利なんてない、、

差別や偏見だけじゃない、人の心の醜さや”普通”とされるカテゴリー外のものを排除しようとする人間のせいでマルコは死んでしまったのだと思う。

自分と違う人を受け入れるのはそんなに難しいことなのか。
70年代の話だけど、今も偏見と差別によって真実を捻じ曲げられてしまうことは変わらない。
マルコは何も自分で選べなかった。
チョコレートドーナツ以外。
たった1年だったけど、彼が幸せな時間を過ごせたことはせめてもの救いだと思いたい。
anydaynow
同性愛者が隣の家の障がいある子を育てようとして取り上げられ怒ってる映画でした
こんなのってない…。
たくさんある事例のひとつだから、片付けなきゃいけない仕事のひとつだから、「ひとりの人生」について「何が幸せか」考えてもらえない現実。この件を通して、こういうことが多々あるであろうことにさらに目眩がする。
愛情のある家庭よりも、育児放棄している薬物中毒の母親に親権が渡る。愛情のある二人がただ男性同士というだけで。
マルコとの映像を見てるときのルディの顔が切ない。
マルコは二人を探していたんだから、二人が離れたくて離れたんじゃないって伝わってるよね?
現実と映画の世界が、シンクロすることがある。

私がこの映画を観た時、主人公のマルコにイメージを重ねたのは、まだ幼かった息子や、家庭環境に恵まれなかった自分自身だった。
マルコが必要としている、愛してくれる人がいる心安らげる家庭という場所。
実は誰もが当然に得られる訳ではない。

ルディとポールがゲイカップルであること、マルコがダウン症であること。
私にとってこれらはあくまでも物語の伏線であって、この映画が心に響くのは別の理由からだ。

マルコも、ルディやポールも、社会でマイノリティに位置する存在だ。
それでも当然に幸せを望むし、それを実現する権利がある筈なのだ。
しかし、現実は違う。
ルディが「これは差別だ‼︎」とポールに訴えた時、彼は即座に「いや、これが現実なんだ‼︎」と答える。

マルコは、愛してくれる『家族』という存在を見つける事が出来たのに、冷酷な司法の壁、無責任な法曹達からおざなりの法的措置を受け、最後はルディとポールを探しに施設を抜け出して餓死してしまう。

確かに悲劇だ。しかしこんな現実は実は、巷に溢れ返っているのだ。

後見制度が推進されている。
ちょっとググれば、溢れんばかりの酷い話がヒットしてくる。
なぜか?
法曹が障害者の人権を擁護するなどというのは、建前論に過ぎないからだ。
彼らは、社会的弱者であるマイノリティを軽視しているし、排除する事を厭わない。
あくまでも自己利益を追求する為の便宜上の建前論なのである。

なぜそんな事が分かるのか?

今まさに私自身が「認知症高齢者の介護親族」というマイノリティとして、同じ状況に立たされているからだ。

マイノリティはマイノリティとして、暗闇に掻き消されるのであり、結局のところ、正義の味方は現れない。
マルコを助ける人が現れなかったように。

ところで、私は映画の最後に流れる歌が好きだ。
ルーファス・ウェインライトのMetaphorical Blanket。

せめて、痛んだ心を休めるより他ないではないか。
炎のように燻る愛しいという想いや怒りや悲しみは、理性というブランケットで覆い隠す事は出来ないのだ。
いつかは、燃え上がって全てを焼き尽くしてしまうかもしれないのだから。
差別や偏見が強い70年代カルフォルニア

お互いを愛して
お互いが必要としているのに

どうして
社会が、部外者が、それを許さないのか。

生きる時代が違えば、起こらなかった悲劇
マルコは " ハッピーエンド " が大好きだったのに

やるせなくて、切ない。
マルコと二人を引き離した人たちにマルコが橋の下で死んでいたという新聞の記事と手紙を送ったポール、自分の家を探して夜の街を彷徨うマルコと歌を歌うルディそれぞれの姿が映し出される最後のシーンは涙が止まらなくなった
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