春とヒコーキ土岡哲朗

ジュラシック・ワールドの春とヒコーキ土岡哲朗のレビュー・感想・評価

ジュラシック・ワールド(2015年製作の映画)
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ずっと楽しいが、特に最後10分、興奮が止められなかった。

怖くて楽しい、想像の二面性。人間は、楽しいことばかりでなく、怖いことも想像する。どちらも、想像力。その表裏一体を感じさせた『ジュラシック・パーク』。『パーク』では、途中までは楽しくて、途中から怖い時間になる。今回は、楽しい時間と怖い時間を織り交ぜて進む。裏でパニックは起こり始めているのに、気づかずに楽しむ子どもたち。「楽しい→怖い」の一方通行ではなく、常に二つは同居している。それが一作目よりも受け取れた。

丸い乗り物に乗っていった先で、今回の敵・ハイブリッド恐竜に襲われるシーンは、新しいもの、新しい場がもたらす楽しさと怖さが乗り物の存在に絡みついた、良い一連の流れだった。最初の、卵から恐竜が孵るカットも、これから恐竜の映画を観るのだからワクワクするが、その目がとても怖く、作品の風味が一発で現表されていた。容赦なく人が殺されるのも、すがすがしい。ザックとグレイ兄弟の子守としてつけられた女性が、プテラノドンに捕まるも水中に放り出されたとき、「この人は、ただのモブじゃないから、地面にぶつけて殺さずに、水中に放る程度にしてくれたんだな」と思った。だが、地面に放られて即死した方がマシだった。女性は、自由に動けない水中で、空から飛び込んでくるプテラノドンに襲われ続け、最後は水棲恐竜モササウルスに、プテラノドンごと食べられた。ここが、今作でも一番容赦ない行為だ。世界は、表にも裏にも広がっている。

Tレックス降臨、「本物が最強」。大暴れするハイブリッド恐竜から逃げる人間たち。最後の切り札として人工恐竜と戦うのは、ティラノサウルス。いいとこ取りで足し算された人工物を、シンプルな本物がぶちのめしに行く構図。序盤で従業員が「20年前のパークは人工恐竜など作らずに本物の恐竜のパークだった」と発言するなど、「味気なく感じられても、本物がいいんじゃないか」というフリがあった。そして、満を持して現れたティラノサウルスは、一作目と同じように、ティラノサウルスの骨格模型を壊す。一作目でのそのシーンは、「化石が大切に崇められていようと、今動けるのは、今動いている方だけ」という主張を叩きつけてきた。今回も同じその再現をすることで、「メリットてんこ盛りの偽物じゃなく、本物なのは、本物だけ」という主張のパンチなんだ分かる。

ティラノサウルスが倒れるも、同じく本物恐竜であるラプトルが噛みついて時間を稼ぎ、最後は水棲恐竜モササウルスがハイブリッド恐竜をバクっとやり、水に引きずり込んで、バトル終了。本物恐竜の連携プレーで、彩った偽物より、ただただ存在する本物の方が強いんだと見せつけてくれた。ぼろ勝ちではなく、苦戦するところがリアル。そりゃ、後発のものの方が技術は向上しているし、足し算したら良さは増えるのだから、強力なのは確かだ。自然に生まれた本物は、単純すぎる存在だ。なので苦戦する。だが、そんなシビアな戦況は必至の中、粘って本物が勝つ姿を見せてくれた。彼の咆哮に、胸が熱くなるのは当然。過去作未見でも楽しめるはずだが、一作目が好きだから味わえる興奮、感動だった。