このレビューはネタバレを含みます
【貧乏白人がもっと貧乏白人と殺し合いを演じる救いの無さ】
兄、ラッセル・ベイズ(クリスチャン・ベール)はペンシルベニア州北ブラドックの製鉄所で働くプア・ホワイト。飲酒運転→死亡事故→刑務所→父との死別と、トントン拍子に転げ落ちていきます。愛していた黒人の彼女はムショに入っていた間に黒人男に奪われ、白人である彼の立ち位置はもはや黒人以下のようです。
弟、ロドニー・ベイズ(ケイシー・アフレック)は繊細な心を持つイラク帰還兵。兄が止めるのも聞かず、彼は自ら暴力の中に身を置き、身を滅ぼしていきます。悲惨な戦争体験によるPTSDを引きずっていることがセリフで説明されますが、もう少し丁寧かつ繊細に描写して欲しいところでした。ただの乱暴者ではなく、もっと彼の内面にスポットを当てた方が、映画の深みが増したのでは。
この二人の兄弟の暮らしぶりには、なんの希望も見いだせません。中国製の安い鉄鋼のせいでもうすぐ製鉄所も閉鎖されちゃうとのことで、なんとも重苦しい閉塞感が漂います。おそらく現実にこんな貧乏白人はどんどん増え続けているのでしょう。ガソリン車、タトゥー、ケンカ、ギャンブル、アルコール、鹿狩り…。生活全般があまりにも時代遅れ。価値観があまりにも古臭い。過剰な男性性ばかりが目につきます。彼らの貧困は経済ばかりではなく、文化的な貧困も凄まじいものがあります。時代にあった新しい価値、人に喜ばれる価値を生み出すことのできない彼らには何ならできるのか。肉体労働と兵役以外に見当たりません。彼らの柔軟性のない生き方はディア・ハンターの頃から全く変化していないようです。
本作の敵役、ハーラン・デグロート(ウディ・ハレルソン)はヒルビリーのボスです。ヒルビリーとは、アパラチア山脈一帯の山地に住み着いたスコッチ・アイリッシュ系のプア・ホワイトたちのことです。“掟”が支配する前近代的かつ閉鎖的なコミュニティを形成しており、犯罪や麻薬取引に関わる者もいるらしいですが、警察や国家権力の介入もなかなかままならない地域だそうです。ハーランは人を殺すことを全く躊躇しない悪人として描写されます。彼の行動原理は利害や損得勘定よりも暴力衝動に支配されている“狂犬”あるいは“野獣”です。鹿の代わりに狩られてしまいます。
プア・ホワイトの労働者がプア・ホワイトのヒルビリーと殺し合いを演じる構図。それを富裕層のエリートたちが上から眺めて笑っているアメリカ。なんとも救いのない気分にさせられる映画でした。
現実世界ではそんなプア・ホワイトたちが最後の望みを託すトランプ&バンス。特にバンスはヒルビリー出身で初めて副大統領候補まで上り詰めた苦労人ということです。
「ヒルビリー・カルチャーに潜む最大の問題は、自分の不幸の原因は、全て社会と政府の責任だと考えていること」「テレビニュースも、政治家も信じない。よりよい生活に入るための門戸である大学は、ヒルビリーを排除する方法を講じていると信じている。そして、ほとんどのヒルビリーが、自分の人生は自分ではコントロールできないとし、自分が置かれている惨めな状況は自分以外の全ての人間のせいだと非難する」(J.D. バンス著「ヒルビリー哀歌」)
アメリカのプア・ホワイトたちのおかれた救いのない厳しい現実。この映画は観る者にそれを垣間見せてくれます。プア・ホワイトたちの最後の望みが絶たれたとき、おそらくまた血の惨劇が繰り返されることになるのでしょう。